オースン・スコット・カード『無伴奏ソナタ』

 これらの作品が他のいかなるものであれ
――よかれ悪しかれ、甘くてもしょっぱくても、月並みな物であれ恍惚とするようなものであれ
――それらは私のものなのだ。

 カード作品二つ目。SF以外のファンタジーやホラーも収められています。最近漫画のレビューばっかりしてましたが、いくつかの小説も並行して読んでいますよ。これはそのうちの、やっと読み終わった物。

エンダーのゲーム

 つまり、エンダー、ぼくらは小さなガキなのさ。
 私が最初に読んだカード作品は、長編『エンダーのゲーム』でして、これはその原形にして作者の処女作品。長編版のダイジェストというか、あちらから巧く切り取ったような巧みさがある。
 ラッカムの名前が違ったり、おなじみのキャラが顔を覗かせたりといった共通点を楽しみつつ、あのオチのあたりは分かっていても刺激的だ。彼らは生きているのですか、という長編にはなかった問いも挟まっていますし。
 この作品だけ、短編集に収められたどの諸作品とも異なっている印象を受けました。
 処女作にはその作家のすべてが込められているとはよく言われるけれど……これには確かに、多くの物が詰め込まれている。あるいは、長編版での様々が、ぐっと凝縮されていると言おうか。
 もちろんそれは、長編版がこの短編の単なる水増しだという意味じゃない。あちらには異種知性との相互理解や、エンダーの家族などといった新たな要素が紡がれ、物語を拡張している。
 そうした部分を除いて共通した部分が、痛烈に濃縮していると感じた。
 この作品で活躍するのは、全員が十四歳を越えもしない――それでいて恐ろしく有能な子供たちだ。彼らは子供が話すように話さないし、大人たちも彼らを子供のようには扱わない。
 何より、子供である彼ら自身、たとえばまだ十一、二歳のエンダーが、自身も部下たちも幼いなどと考えることすら許されないのだ。
 でありながら、間違いなく彼らが子供であると感じさせる作品の質感が、それらの事実を残酷に突きつけてくる。作者自身による作品解説などとも併せて考えれば、こうした残酷性はカード作品には欠かせないもののようだ。
 そして極めつけは、大人たちが子供らを兵器にした根拠たる、ある仮説。
 長編版とは異なる、大尉と中尉だけのエピローグは、グラッフ大尉による締めくくりの言葉で味わい深いものだった。ゲーム的な戦争の恐ろしさと、果てしない残酷さとでも言おうか?

王の食肉

 村人たちは自分たちの微笑をどうしても見てもらいたかったのだった。
 王がいて王妃がいて城があり、牧歌的なようで酸の堀割に囲まれた村の羊飼い。何やら舞台が中世のそれのようだが、羊飼いの持ち物は超常的な香りがする。
 彼が一仕事終えた所で、そのへんの理由は明らかにされるのですが。いやはや。
 この落ちは不可避な物だったろうなとは思うけれど、さてでは何が正しいことだったのか。羊飼いが大した男なのは間違いないけれど、彼はハンモックの中で何を思い、黙り続けていたのだろう?
 彼の罪は結局、生きる価値のない人生を生かせ続けたことなんでしょうけれど。
 でもまあ、この短編集で(エンダーを除いて)好きなキャラを一人挙げるなら、羊飼いを選びます。

呼吸の問題

「わたしは生まれてこの方、きみ以上に正気の男には会ったことがない」
 何か、世にも奇妙な物語とかにありそうな感じ。
 作者がこれを思いついた切っ掛けは面白そうだったけれど、それが死の前兆というところがいまいちだったかもしれない。
 とはいえ、そこで父親の息子に対する愛情を滑り込ませてくる所が、さすがの一言。

時蓋(タイム・リッド)を閉ざせ

――しかし、なにをだ? いや、数多の夢をおまえはもう思い出せさえしないと言うのか?
 享楽的な若者たちがパーティで行う、タイムスリップと疑似自殺。彼らのその遊びに巻き込まれた、トラック運転手の人生が同時進行する点が興味深かった。

憂鬱な遺伝子(ブルー・ジーンズ)を身につけて

 地獄の沙汰か、べらぼうめ。それは嘘ですらなかったのだ。
 タイトルのシャレが気に入って、最初に手を付けた作品。主人公の俗っぽく、スラングも連発する口調が楽しい。なんかポルトガル語とか頻出するし。
 相手がとうにいないのに、地下へこもって戦争を続ける人々、というのはいかにもなモチーフか。しかもアメリカとロシアだし。

四階共同便所の怨霊

 人間? いや、やつらだ。
 主人公が色々と酷すぎたお話。奇妙な赤ん坊を見つけた瞬間から怪物に狙われるはめになるが、後書きにあったようにそれは因果応報で……。読者に肝心の所を想像させる形の落ちがうまく決まっている。

死すべき神々

「わたしはおまえたちに死がどんなに醜いものかを見せてやりたかったのだ」
 人間はよくヒューマノイド型宇宙人を想像しますが、宇宙の常識からすれば、人間は実は奇蹟のように異質だという転換ぶりが、実にSF的だと思ったお話。
 あまりに思考回路がかけ離れていて、相互理解の下地すら持てないような相手を宇宙人と言ったりしますが、その意味でもこの作品に出てくる連中は実に宇宙人らしかったです。

解放の時

 この両者のバランスを取り、双方の欲求を満たしうる方法は絶対にある。
 うっかりSF作品かという固定観念があったせいか、一回読んだだけではよく分からなかった。一応、ホラーということになるのかな。
 あまりにも精神的に弱い妻をいとおしく思うと同時に、うとましく思う主人公の矛盾した気持ちがとても生々しく、切実な作品でした。まあ、その、子供たちがいて、なおかつ解放されて良かったよね。

猿たちはすべてが冗談なんだと思いこんでいた

「その子供を連れて来てはいけなかったんだ」
 タイトルが酷いw
 宇宙飛行士たちがトロヤ物体(地球軌道前方のトロヤ点に突如表れた物体)を調査したが、そこには完全完璧な人工の環境があり、アグネスは地球からの移民地にすることで、民族紛争の解決を試みる。
 全体としてはまあ、相も変わらず酷い話でして。ページをめくっていた時につい最後の一文を見てしまい、ああアグネスはこんなに頑張っているのに報われないのか……と暗い気持ちになったものです。
 ただまあ、ヘクトルたち(ギリシア神話じゃなくて小惑星のほうっぽい)が語る様々な話や、何より冒頭にある幼いアグネスの物語といったエピソード群は、非常に魅力的でした。

磁器のサラマンダー

 磁器のサラマンダーは、一つの凍結した、完璧な瞬間を生きている――
 ファンタジー作品。そのせいか、文章が童話っぽくですます調になっている。
 父親が一時の激情に任せて放った呪いに打たれ、身体の自由を失った少女・キーレン。彼女は陶磁器のサラマンダーによって徐々に回復を見るけれど……。
 この作品、普通の作家ならサラマンダーの美しい自己犠牲で終わっていたかもしれない。
 でもその後で「いずれお前はだんだんとあのサラマンダーを疎ましく思うよ」と子供に突きつけるキャラクターがいる所が、この作家の独自性なのだろうな、と感じた。

無伴奏ソナタ

 かれは喝采のなかを舞台から去り、外にでた。
 表題作。猿たちは〜に登場した「シリルの物語」の、新たなバージョン違いとも言えるらしい。
 完璧で幸福な管理社会から、その天才性ゆえはみ出した人間の悲しみ……などと言うと、ちょっと物語が小さくなってしまうか。だがまあ、残念ながら今は表面をさっと新った説明しか思いつかない。
 音とリズムに対する天分を認められ、神童と呼ばれたクリスチャン。
 ある日彼は規則を破ったために音楽を禁じられてしまう。そして次々と音楽と関係のない仕事に就かされるのだが、そこでも彼はまた規則を破ってしまい、そのたびに身体の一部や機能を失っていく。
 ストレートな残酷性は相も変わらず。そして、それでも音楽を求めてしまうクリスチャンだったけれど、「最良の監視人」とは……?
 なんであれ、最後は爽やかなハッピーエンドだった。