オースン・スコット・カード『エンダーのゲーム』

「神がきみを助けたまわんことを、きみが間違っていれば」
「神がわれらを助けたまわんことを、私が間違っていれば」

エンダーのゲーム (ハヤカワ文庫 SF (746))

エンダーのゲーム (ハヤカワ文庫 SF (746))

 読んでないと恥ずかしいと思うSFの一冊(他は「虎よ! 虎よ!」とか。こっちも積読…)。
 本書は、アンドルーこと通称エンダー・ウィッギンという天才少年の活躍と成長を描いた長編戦争SFです。
 軍の偉い大人たちはみんな、彼に大きな期待と過剰なまでのプレッシャーをかけ、次から次へと試練を与える。だが彼はその全てにおいて最高の成績を示したため、エンダーには一時の安寧も与えられない……。
 中々ヒロイックな筋立てであります。
 これだけだと陳腐であり、いっそエンダーがメアリィ・スウにも見て取れますが、二十年も前に出版されていまだに名高い作品。上記の物語を描き出す筆致は、陳腐だの安易だのという言葉を許しません。
 そもそもエンダーはハイティーンの少年ではない。宇宙に隔離されたバトル・スクールに入ったのがほんの六歳、本書終盤に至る頃にやっと十二歳になるかならないか、それぐらい小さな男の子。
 でありながら、彼に課せられた過酷な試練は、大の大人でも壊れかねない重圧でした。
 エンダーは様々な事態に遭遇しては、すぐにその仕組みや構造を理解し、さらにどうすれば良いのか看破していきます。そして冷たい合理性の元に戦略を立てては、あらゆる戦闘に勝利していく。彼と、彼の部下である兵士たちは間違いなく立派な軍人です。だが同時にまごうことなき少年兵たちでありました。
 中でも特に年少の部類に入るビーンという部下に、エンダーが「幼さ」を見出すシーンがありましたが、彼はすぐさまそれを打ち消していました。ビーンは兵士であり、子供らしさなどまったくない、と。
 物語の大半を占める舞台のバトル・スクールには過酷な競い合いが存在します。その中で生徒たちから発露される苛烈さと残酷さは、ひどく子供らしくあると同時に──これが歳が二桁にもならない子供のすることか、と空恐ろしくなることもしばしばでした。なぜ子供がこうも的確に、相手の喉笛の抉り方を計算しているんだろう、と。
 なぜならこれはそういう場所であり、彼らが兵士だから。
 と、言うことも出来ますが、この作品には「全てがゲームだから」という答えを突きつけることもできます。ゲームはフィクションですが、「現実と虚構の反転」を劇的に描き出したことは、本作において特筆すべきことであります。
 エンダーはゲームの名人であり、彼はあらゆる敵を打ち負かしてきました。
 ゲームの中では何も誰も死なないし、彼も誰だって殺さなくて済みます。エンダーの兄ピーターは生まれついての殺人者という趣きでしたが、エンダーは全く兄に似ていませんでした。
 ──あるいは、似ているからこそピーターを恐れたのかもしれませんが。とにもかくにも、エンダーは望むと望まざると関わらず、結果として多くを傷つけ、また殺すこととなり、その才能のゆえに更なる殺戮をさせられたのです。
 こうした主題はわりとよく見かけるのですが、エンダーの幼くして過酷な人生を追い続けた読者としては、そのあんまりな「ぺてん」に涙さえ出てきます。この主題を書こうと欲するなら、是非手本にすべき一冊ではないでしょうか。
 愛と哀れみさえ睡夢に求めるしかない孤独な少年。
 最愛の姉さえ己が肥やしとして、大人たちの手で鋤こまれた小さな男の子。
 本作はまだまだ数冊の続編が続く大長編なので、エンダーに少しでも安らぎがあることを見るためにも、そちらを読んでみようと思います。以前「否定され続けることでキャラが立つ主人公」って紹介されたんで、ちと不安がありますけれど。