コードウェイナー・スミス『鼠と竜のゲーム』

 コードウェイナー・スミス傑作選第一集。第二集にあたる『シェイヨルという名の星』は絶版らしく、マーケットプレイスなどの中古で手に入れなくてはならないようだ(本来6〜700円のお値段なのだが、2600円出して手に入れている人もいた)。
 これに限らず、『鼠と竜』以外の数少ない翻訳作品は絶版となっている。もったいないことだ。
 だが、今なお絶版されていない本作はコードウェイナー・スミスを知る上で希望の光となることだろう。八十二年出版と奥付にあるが、収録されている作品はどれも半世紀前の作品ばかり。なんせこのスミスさん、第二次世界大戦では将校の立場にあり、かの孫文と交流を持って中国名をもらった、なんてエピソードもある人物である。
 日本で出版されている作品はわずか四冊。複数のペンネームで様々な作品を書かれていたが、急逝とあいまってSF作家としてはかなり作品数が少ない(人類補完機構シリーズは、いまだ未邦訳の作品もあるようだが……!)。
 が、今なお読み続けられるべき作家だと思う。
 人類補完機構シリーズが描く世界は、一見して古典的な未来だ。西暦一万四千〜六千年の間の出来事を綴った壮大なる叙情詩は、時に星間飛行、時に外宇宙植民と、ありがちなSFのようである。
 が、それを構成するのはやや毛色の変わった美しい言葉たち。スミスの書き方は特異で、独特の用語が当たり前のものとして出てくる。もちろん、それが理解出来るよう最低限の説明はされるのだが、全てを親切に教えてくれるわけでもない。こういう「まずいやり方」をやる作家は多いものだが、私は、スミス氏はそういう書き方を許された作家の一人だと思う。
 何しろ、作中の登場人物たちにとって、それら固有名詞の数々は確固として存在し、自分たちの生活・活動に根付いているものなのだ。そのことが肌で分かるようしっかり描写されている、ごく自然に。これに似たものとしては、佐藤亜紀『天使』『雲雀』における「感覚(いわゆる超能力である)」の描写しか思いつかないのだが、寡聞であることが悔やまれる限りだ。
 ともかく、こうした手法に反駁する人はやはりいるわけで、スミス氏の作品は「異質な肌触り」「未来からの訪問者ではないか」などと評価されるのもうなずけるところである。が、私はその肌触りがとても心地よい。
『鼠と竜のゲーム』において、私が触れたコードウェイナー・スミスが紡ぐ物語と言葉の数々は(翻訳というフィルターこそあるものの)、理想的なまでに美しい。神秘的で壮大な未来史を短編の数々で少しづつ紐解いていく様は、以前私がやりたかったことそのままでもある。書き出し数行であっというまに引き込まれるその筆致に、胸を焦がすような憧れを抱く。素晴らしい。──などと一方的に讃美を述べたくなるほどに、めろめろに魅了されているんだから、まったく世話ないことである。

スキャナーにいきがいはない

 マーテルは怒っていた。血液を調節して怒りを引かせようともしなかった。
 記念すべき第一作、書かれたのは1950年である。SFの文脈でスキャナーと言うと、聖悠紀超人ロック』で言うところの超能力者を連想されるかもしれないが、もちろん無関係。スキャナーとは、恒星間飛行のためのサイボーグである。
 正確にはこれをヘイバーマンといい、それらと宇宙船の乗客を管理・保護するのがスキャナー。彼らは宇宙飛行の苦痛に耐えるため、視覚を除いた感覚の全てを奪われているため、大変非人間的な存在になっていた。ただし、「クランチ」という特殊な処置によって「クランチ状態」になることで、多少の危険を伴いながらも一時人としての己を取り戻す。
 スキャナーのいきがいを揺るがすある事件が持ち上がるのがこの話なのだけれど、さて、パジリアンスキーの末路といい、単純なハッピーエンドと呼んでもいいものでしょうか? スミス入門には丁度良い作品かと。

星の海に魂の帆をかけた女

 わたしはこの船に乗る魂たちのために祈ります。自分なりのやり方で信心する勇気があったからこそ、ほかの星の光を必要とした哀れな愚かな人たちのために、お願いします。
 こちらは一転、甘いラブロマンスのお話。が、前後に挿入される母と子のシーン、それに出てくるスピールティア*1の扱いを見るに、何だかそれだけでは終わらないものを秘めて思えてくる。まるで謎かけのようで、その謎かけを口に含むのは楽しい。
 ヒロイン、ヘレンはこの短編集でもダントツに好きなキャラクターです。
 子供のころ大事にしていたおもちゃが、すり切れ壊れ、気味の悪いがらくたになってしまうように。どれだけ歴史にきらめくロマンスも、いずれ古ぼけてすり切れてしまうのかもしれない。けれど、ヘレン・アメリカに向けたMr.グレイ=ノー=モアの言葉があれば、それで充分なのだろう。すり切れるも古ぼけるもない、あれで「完結」なのだ。

鼠と竜のゲーム

 あらゆる夢想を越えてすばやく、無駄がなく、かしこく、信じがたいほどしとやかで、美しく、言葉はいらず、何一つ代償を求めない。レイディ・メイに匹敵する女が、この宇宙のどこに見つかるだろう?
 表題作、スミスさんは猫大好きという話(笑)。平面航法を開発した人類が、平面世界に潜む危険なモンスター・竜(鼠)に、テレパシーを持った猫と人間がコンビを組んで立ち向かう。が、見方を変えると猫と人のロマンスっぽくもあるという。
 平面航法ということは二次元に潜るようだが(詳細の説明はない)、作中の効果からするといわゆるワープらしい。が、ワープなのに通常、高次元に移るでなく、低次元であるほうへ移っちゃうあたりが捻くれている(科学的にどうかは知らん)。
 猫vs鼠=人vs竜の宇宙船防衛戦がタイトルの「ゲーム」。このへんのSFアクションも結構わくわくするが、短い描写で猫の魅力をふんだんに伝えてくれるあたりは、業深い猫好きの血を感じずにはいられない。
 スミス氏を語るときに、猫は外せない要素です。

燃える脳

 教えよう、これは悲しい物語。悲しいだけでなく、鬼気迫る物語でもある。
 前二編とはまた違った愛の物語──かな? ここでは平面航法を行うキャプテンの仕事について語られている。というか、主人公二人の名前自体は、星の海に〜の所で一度出ている。こうした歴史上の繋がりを発見するのは嬉しいものですな。
 さて、本作のヒロインであるドロレス・オーは一言でいって鬼婆である。かつては美しかったが、若返りが望めるこの世界において、自ら醜く老いさらばえることを選んだ。そうしたのは、彼女が並外れて美しいからで、「私の美しさ」ではなく「私」そのものを愛されたかったから。そういう彼女の造形は確かに鬼気迫るものがある。
 それにしても、ウー・ファインシュタイン号は、なんであんなミスが起こっちゃったんだろう?

スズダル中佐の犯罪と栄光

 これは、人の肉体によって作られ、人の頭脳によって動機づけられた悪夢なのだ。
 またの名を、「スズダル中佐のお助けぬこ」(嘘)。なぜかこの話に限っては、Wikipediaに詳しいあらすじが載っています。
 この話の面白いのですが、若干設定に首を捻る箇所があるのが残念。雌性が絶滅したゆえ怪物になり果てたアラコシア人(クロプト)というのを聞いた時、女がいないだけでそんなに人類は荒むものかと思ったものです。いやまあ、ルージュ塗ってイヤリングつけた、ひげ面の同性愛者って言われると、ちょっと腰が引けるんですが。
 確か少女漫画界隈でも、萩尾望都『マージナル』みたいに、男性/女性だけの社会ってのはいくつかありますしね。SFだと(アニメばっかだが)ヴァンドレッドとか、マクロスとか、セイバーマリオネットとか。だからアラコシア人の「怪物」っぷりがぴんと来ない。このへんは時代の違いってのもあるのかもしれませんね。
 さて、スズダル中佐は結末で裁かれ、「シェイヨル行き」を言い渡されます。シェイヨルとはスミス氏がSF的に再構築した地獄で、序文で少し説明されていたので、その名が出た時にはぞっとしたものでした。
 後で検索して、シェイヨルの詳しい実態を知ったら、もう気の毒*2としか思えない。年表を見ると、『シェイヨルという名の星』の時点で、元スズダル元中佐は、優に刑期が三千年ほどになっているんですな。

黄金の船が──おお! おお! おお!

「賂(まいな)いを記録にとどめ、その記録を非公開扱いに」
 タイトルの印象に引かれ、この本で最初に読んだ作品。正直、選択を誤りました(笑)。これを読んだ印象だと、「異質な肌触り」というのは納得できる。大人しく最初の一遍、もしくは表題作から読んだほうが、物語世界に入りやすいだろう。
 独裁者ラウムソッグが地球に侵略戦争を仕掛けてきたので、「黄金の船」で迎え撃つ話なのですが、やりようが色々と凄い。黄金の船の正体もアレですが、人間兵器として「白痴のクロノパシー(時間跳躍)能力者」、「気の狂った泣き虫の少女」が宇宙船に乗せられ、その能力を発揮するべくラヴァダック卿に引っぱたかれる始末。いやはや、恐ろしい。

ママ・ヒットンのかわゆいキットンたち

 この宇宙には、あらゆる夢がうたかたと消える世界もある。だが四角の雲がうかぶオリンピアは、その一つではない。オリンピアでは人びとの目は輝いている。というのは、何も見ていないからだ。
 プロットの一部はアリババと四十人の盗賊から借用……ってのは「ひらけゴマ」=(タイトル)のあたりとかかいな。
 さざめく星影に似た菫色の星、盗賊惑星ヴィオラ・シデレア。そこの出身で盗賊ギルドの監事を務めるベンジャコミン・ボザートは、二百年の人生をかけてある巨大な盗みを準備してきた。宇宙で最も富める星、不老不死の妙薬サンタクララ(およびストルーン)の産地であるノーストリリアから、その莫大な富を盗み出そうというのだ。だが、ノーストリリアには万全の警備体制がある。それこそが「ママ・ヒットンのかわゆいキットンたち」で……。
 とまあ、中々わくわくする筋書きのお話でした。キットンたちは人工的にああなったのかどうなのか不明ですが、可愛いやら可哀想やらで、なんとも。黄金の船に出てきた人間兵器の、さらに陰惨な形ですね。いやはや!
 しかし、書かれる物語世界の宇宙は、聞くからに胸がときめくばかりです。ママ・ヒットンもよい感じに女丈夫で。「おいで、泥棒。ここへ来て、死ね。待たせるのはよくないよ」カッコイイのです。さらっとスペアがいっぱい居るみたいだけどね!

アルファ・ラルファ大通り

「ポール、神ってなにかしら? 言葉は与えられても、わたしたち、意味を知らないのね」
 はてな辞書などにも詳しく載っているが、日本で刊行されているスミス氏の著作はほぼ「人類補完機構」シリーズに属する(本名での著作に「心理戦争」というものはあったが。翻訳されてたはず)。エヴァの「人類補完計画」の名前の元ネタである。
 補完機構によって地球は完全な保護に置かれ、大変居心地よく作り替えられている。『星の海に〜』の所で少し触れられているのだが、この世界の地球は、いつでも海で泳げるように気候が調節されているようだ(実際、天候機械が当たり前に存在している)。これまでの短編は主に恒星間飛行などが主で、地球の話が特にメインになっているのはこの篇ぐらいだろう(星の海に〜にも少し地球の様子は出たが)。
 基本は典型的なユートピアである。人間はみなストルーン(サンタクララ薬を精製したもの)の注射によって、数百年もの人生を与えられ、しかも何の危険にも不安にも晒されないよう大事に保護される。食べ物も飲み物も無料で、柱を叩けばすぐ提供されるし、自動通路もあちこちにある。労働は動物を改造して作った下級民に任せているようだ。このような世界で、どうやって節度や礼儀を持って生きていけるのだろう?
 だが、そうした「保護」がひっくり返され、「自由」に対する当然の権利を求める行為──〈人間の再発見〉という事業が始まった時代が、本編の背景である。主人公たちは、掘り起こされた古代の文化をもとに「新しくフランス人になった」ポールとヴィルジニー。二人はマクトという怪しげな男と共に予言する機械アバ・ディンゴを訪ねるのだが……。
 何というか、時代背景を別にすれば「世にも奇妙な物語」か何かのような、ちょっとしたサスペンス・ホラーのような味わいがある作品。長編ノーストリリアで登場する、人類補完機構シリーズ最大のヒロイン、ク・メルも登場するが、自分としては長いわりに物足りなさを感じた。いや、好きなんだけれどねー。


 以上、『鼠と竜のゲーム』レビューである。物語の筋以上に、その筆致もまた魅力なのだが、疲れたのでそろそろお開きとさせていただきたい。なお、余談だがこちら*3でコードウェイナー・スミス氏のご尊顔が拝見できる。
 もし当レビューで興味を持たれた方がいたら、あなたも是非この美しくも残酷な未来叙情詩を体験してはいかがだろう?

*1:遊戯動物の意。どうやらペットロボットのバイオ版のようだ。

*2:いや、そんな言葉じゃ到底足りないんですけど。

*3:アマゾンさんである。