レイブラッドベリ, 宇野利泰『華氏451度』

 おまえはあの街に、なにをあたえたのだ。モンターグ?
 灰だ。
 ほかの人間たちは、たがいに、なにをあたえあったか?
 無だ。

華氏451度 (ハヤカワ文庫SF)

華氏451度 (ハヤカワ文庫SF)

 洋SFはタイトルセンスがいい物が多い。この作品もそう。華氏451度とは紙が燃え出す温度、すなわち本が灰になり始める温度、そう、これは本を燃やす「焚書官」の話。
 ブラッドベリの文章は薫り高く、読めばいつでも陶酔に打ちのめされる。それをどっしり長編で読めるのだから、こんな贅沢なことはない。
 まあ長編よりは、やはり短編の方が好きかなというところだが。
 ブラッドベリの他の短編、『亡命した人々』(『ウは宇宙船のウ』収録)も、焚書の話だった。宇宙飛行士たちは焼くための本を船いっぱいに積み込んで、火星へ飛んでいく。ところが火星には、古い本の作者たちと、登場人物たちの亡命先だったのだ……。
 さて、主人公のモンターグ(ドイツ語で月曜日。エーミールと探偵たちに出てくる「火曜日くん」みたいな名前ですね)は、禁制書を放火機で焼く焚書官。妻のミルドレッドはテレビ室に夢中。
 そんなある夜の勤務帰り、風変わりな少女クラリスと彼は出会って……。
 クラリスという少女の書き方がみずみずしく素敵だったのに、物語からあっけなく退場してしまったのには驚いた。普段読むライトノベルの文法にはまず無い展開。わりと最後まで、彼女は絶対生きていると思ったのだけど。
 ミルドレッドが睡眠薬を飲み過ぎたり、ビーティー署長との会話劇などハラハラするシーンも多い。終盤、モンターグがとうとう全てが露見して、お尋ね者となるくだりは手に汗握る。
 ブラッドベリの文章は、いつも根源的な感情や感性に訴えるタイプだ。読者がモンターグの葛藤に一体化するには、この上ない文体であると思う。
 書物が遺棄され、恐ろしく罵迦々々しいテレビ劇が愛される世界は、大変風刺がきつい。だが誇張されたこのディストピアは、焚書官こそいないものの、今の時代でも通じるだろう。
 テレビというマスメディアの権威は、かつて危惧されたものよりずっと廃れてはいるが、代わりにネットやゲームが氾濫している(と、ネット上のブログで書き綴っているのもおかしな話だが)。
 だが何故人は本を読もうとするのか。その問いにも、この物語は真摯に向かい合っている。そこで老教授フェイバーの口を借りて語られた見識は、ブラッドベリの物であって、我々読者は自らの結論を自分自身で出さなくてはならないだろう。
 少し前(この日記は過去の日付で書いているので、ここから見ると「少し先」のことだが)、ミネヤ屋という番組で風水師が「本棚は風水的にその人の頭の中を意味する。読んでない古い本しか置いてない人は頭の中が古い知識しかない。その人の知識にはほこりがかぶっている」とか主張したそうだが、これも罵迦々々しい話だ。
 単純な智識としてだけが本の価値ではないし、古い本が悪いなどということが無いのは、多数の古典が証明するところである。