伊藤計劃『虐殺器官』

 世界にはむかつく可能性(ポシビリティ)が多すぎる。そして実際、その言葉が使われた場合の可能性は百パーであって、そこではもはや「ビリティ」の意味など消失している。ビリティは詐欺師の言葉だ。ビリティは道化師の言葉だ。

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

 作者がこのデビュー作からまもなく急逝したとは知っていたけれど、後書き解説でそのへんの闘病生活に触れられると不覚にも涙腺がゆるむ。
 スニーカーの吉田直も、自分から書くっつって病床で執筆し続けての死だったような。
 我々の世界が抱える問題を近未来に投影したミリタリーSF。第四部インド編は応募時にはなかった加筆部分らしいが、大幅に改稿されたものだなあ。
 人間の脳内に虐殺を行う器官が存在し、それを刺激する方法があったら――というのがタイトルの由来。正直トンデモ理論という感じだが、リアリティが出るようちゃんと補強されてはいる。良心が進化の産物だという件と併せると、そういう結論も導き出せるものかなと。
 ただ最後の主人公の行動についちゃ「ミイラ取り」的なホラーのようにも思えて、やっぱり自分にはこの理論はファンタジー寄りに見えていたんだなと感じる。
 ついでに、世界中で虐殺を巻き起こす人物ジョン・ポール(「山田太郎」がごときこの名前が、どうも本名らしいのも暗示的)のモチベーションがタチ悪すぎる。


 冒頭から虐殺後の現場だったり「死者の国」の夢だったりで死体だらけですが、その後も軍の暗殺者という主人公の職業上、各地の戦場へ赴いての死体行脚。
 任務に邪魔だからとサクサク人を片していったり、民間人の虐殺を冷静に看過したり、淡々とやってくれる。そもそも虐殺がテーマですし、ダーティさや悪趣味さを感じられるのは仕方無しか。
 とはいえCEEP(幼年兵遭遇交戦可能性)について語るくだりとか、一見静かなようで揺れ動く主人公が垣間見えたりはする。
 ただ、妙な気がするのは主人公がこれでもかと言うほどヤンキー(アメリカ人)しているはずなのに、日本人の一人称読んでいるような感覚がある点か。日本人アメリカ人論じても仕方無いんですが、こう、雰囲気とか匂いが何か違うな〜って。
 何か前半ではやたらアーティストやコメディアンの外国人名を出しまくって、違う文化圏の人間を意識させようとしていたのに、後半ではそのへんも鳴りを潜めていたしなあ。
 解説によると、作者は成熟することを封じられたテクノロジー(投薬とマインドコントロールによる戦闘適応感情調整。痛みや倫理に判断や反応を狂わせられなくなる)によって、主人公は成熟していないキャラクターだそうで。だからこういうナイーブな語りになっているとのこと。
 そのへんが、十代そこらの少年主人公に通じるものを感じた原因かもしれません。濡れ仕事屋、暗殺者だから凄惨な経験はいっぱいしているはずなのにね。
 なんかあなた伊藤計劃好きそうだよね、と言われて積ん読から引っ張り出してきた本書。面白かったし綿密な設定と描写には圧倒されるものがありました。
 でもまあ、好きと言われると微妙なところでしょうか。冲方丁のほうが好きだなあ、嫌いだけど。みたいな。悶々とした気持ちになります。
 とりあえず続く長編、ハーモニーも買ってあるので次はそれを読んでみようかな。世界が抱える様々な問題、戦争や虐殺に対する作者の姿勢、その表現はとても優れている。
 作者が既にこの世に居ないというのは、残念なことです。嫉妬と羨望の観点からすると、そのことにほっとしもするけれど。人間、生きてこそだもんなあ。
 もう一度言う、残念なことです。