神林長平『ライトジーンの遺産』

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ライトジーンの遺産 (ハヤカワ文庫JA)

ライトジーンの遺産 (ハヤカワ文庫JA)

 神林長平は多作すぎて、どこから手を付けていいのか困ることがしばしばあります。今回のこれは、上下巻が一冊に纏められたお得感と、表紙が遠藤浩輝という動機で購入。
 ある日突然、体内の臓器が自ら寿命を定めたように崩壊する現象に見舞われた人類。原因はまったくもって不明ながらも、彼らは崩壊する臓器を人工の物に置き換えることで滅亡を免れていた。
 人工臓器開発の歴史には、臓器崩壊の原因を探るべく製造された人造人間・ユウとコウの兄弟がいる。サイファ(超能力)を持って生まれた兄弟を利用したため、ライトジーン市は解体され、現在は都市の名にその面影を残すのみとなった。物語はそんなライトジーン市で、コウこと菊月虹がのサイファ能力によって人工臓器にまつわる事件と関わって進んでいく。
 粗筋としてはまあそんな感じです。臓器崩壊の原因とかは特に明かされないんですが、連作短編形式で、キャラクターが魅力的なので最終章後も続きが読みたくてたまらない。
 まず主人公のコウ。人造人間で超能力者、子供時代は研究所で育つといかにもなキャラですが、自らのアイデンティティに悩むのはとうに過ぎ去った四十路のおっさん。
ブレードランナー』的世界の都市で自由人として暮らしながら、その趣味は結構レトロです。ウィスキーと読書をこよなく愛し、自らの超能力も疎ましいものとして感じている。
 基本的にものぐさで飄々、一人称で進む物語の中、繰り返し本と酒への魅力を語る様が実に魅力的です。「キャラ立ち」とはこういうものなのだな、としみじみ思わされる。
 次はその相棒ポジの新米刑事タイス・ヴィー。通称ティーヴィー。たいがいの事件はコウが一人で片してしまって、タイスそのものの出番はイマイチ多くなかった気もしますが。
 一話目のやり取りはまさに新米という感じで色々と青臭さもあったのですが、回が進むごとに一人前の刑事になっていくあたりは面白くもあり、寂しくもあり。
 彼女に振られた(?)り、音楽関係の意外な趣味があったりと、何というか愛いやつでした。リーを庇って怪我をする男気もありますし。
 次、コウの「兄」五月湧――物語登場時には、サイファ能力で性転換&若返りを実行し、うら若き美女メイ・ジャスティナ、通称MJと名乗っています。なんとぶっ飛んだ設定か。
 トランスジェンダーについて意外なほどツッコミがなく、コウもうちのにーちゃんがオカマになってもーた、的反応は皆無。過去にそういう葛藤と軋轢があったかも不明。
 ただそういう物として、やはり飄々と受け止めている印象でした。
 過激でつっけんどんな「彼女」の性格は最初は敬遠しがちだったのですが、最終話になってやっとかわいげが出た感じ。ザドクと一緒に暮らすんですかね、あの後。
 最後に、タイスの上司・申大為(シン・タイイ)課長。
 この人は以前からほのめかされていたように、サイファとはまた少し違ったものであって欲しかったのですが――まあ食えない親父なのには変わらないようです。
 実年齢は意外と若いようでびっくり。五十代はいくと思ってた。

アルカの腕

 第一話、コウとタイスが初めて出会うお話。基本的にコウが、ライトジーン市、臓器崩壊現象、申課長とコウの関係(スイーパー)、サイファ能力といった諸々の世界設定その他をくっちゃべり、そうこうするうちに目当ての「怪物」が出てきて――あっという間に終わる。
 キャラクターと世界観の紹介という感じですが、コウのキャラにまず惹きつけられるので読むのは対して苦痛ではない感じ。あ、こいつらの話をまた読みたいな、と思わせられる。

バトルウッドの心臓

 会話の中だけだった申大為や、コウの兄MJの登場回。
 タイトルにもあるように、基本的に一つ一つの話はある特定の臓器に焦点を絞った話になっています。当然、そこに人工臓器メーカーの陰謀やそれを使い人々の人生が絡んでいく訳で。
 ですが、今回のこれは二話目からして意外な方向へ落ちを持っていく。え、そういうのもアリなんだ、という感じ。まだまだ青臭さ全開のタイスも面白い。

セシルの眼

 セシル(CECIL)という名前は、「さらに怪しい人名辞典」の記述によると「目の見えない・盲目の」といった語源の女性名。
 というわけで、その名の通りある物が見えない女性のお話。コウがちょっとラブロマンス方面へ流れるかと思いきや、結局そうならないあたりがハードボイルドっぽいかも。
 幽霊の存在が示唆されているが、サイファ能力者の世界ってのはそういうものかもしれない。

ダーマキスの皮膚

 珍しく悪夢にうなされるコウが過去を回想し、彼の人生が少しばかり見えてくる回。これまであまり仲むつまじいと言えなかった兄・MJとも協力する場面が出てくる。
 このへんになると、タイスもサイファとの付き合い方や刑事としての熟練が結構なものになってきている。しかしMJ美人だな、性格はあれだけど。
 コウとMJに殺人の嫌疑がかけられ、いやその物証があるのはこれこれこういうことだ、と原因が説明され、しかしその原因はどうも犯人じゃないらしくて、と二転三転するクライムサスペンスな内容。まあサスペンス要素は全体にあるんですけれどね。
 悪夢の描写は中々圧巻で、確かにあんな夢を見てしまう人とその人生には同情を覚えます。

エグザントスの骨

 これまたダーマキス同様長いめの話。事件の中心人物と直接(実体的に)出会うことなく終わっているのも珍しい話かもしれない。
 臓器ボランティア永久刑という、人体実験に犯罪者を提供する刑罰が存在するようです。永久刑とあるので、期間が決まっているものもあるようですが。
 前の話で手配師が人体実験志願者を集めたりもしているので、改めてこの世界が切羽詰まっていることがよく分かる。そういうのも含めて、「人造人間が造られる世界観」というものが説得力を持って構築されていると思います。
 最初設定を読んだ時は「臓器取り用」が人造人間の用途かと思ったけど、臓器が崩壊しない人体を造るという研究目的だったんですよね。
『膚(はだえ)の下』の人造人間・アートルーパーは最初から成人として造られるけれど、コウたちは赤ん坊として誕生し、普通に歳も取っていく。
 アートルーパーは荒廃した地球の再生という過酷な事業に従事するため造られたので、用途もだいぶ違いますが。慧慈たちとコウの意識の違いというのも中々面白い。コウらのほうが年齢はずっと上なので、彼もあんな風に「雨は嫌いだ」って思った頃はあったかもしれませんが。
 脱線しましたが、ああいうことまで可能にするサイファの能力は中々恐ろしい物ですね。音楽、がこういう風に絡んでくるとはびっくり。

ヤーンの声

 閑話休題、嵐の前の静けさ、何てことない休日の一幕という話。
 これだけに限ったものでもないが、神林長平という作家は「感動」を書くのがうまいんだなあと思う。『七胴落とし』での日本刀の美、『心臓』でのバレエCM、そして『声』でのライヴ。
 人間の根本的な皮膚感覚や体験、体感、情動。何かに対して心が揺さぶられる様の描写が圧倒的にうまい。対象に対する深い愛がなしえる物だと思っていた鮮烈さが、他のどの描写にも現れてくるのだから、もう手放しで賞賛するしかないんじゃと思えてきてならない。恐ろしい人だ。

ザインの卵

 最終回。結果として大団円なのだけれど、何かここへきて普通の話になってしまったなあという印象。最後までコウのキャラクターは面白かったのだけれど。
 最初に続きが読みたい的なことを書きましたが、この最終回からの続きの話は、それまでとは赴きの違う物語になりそうでもあるんですよね。
 人造人間という出自から実験動物呼ばわりされたり、サイファ能力を悪用しようとする連中が出てきたり、申大為のびっくりな正体が明かされたり……。
 面白いんだけれど、なんか題材から想像されるいかにもなネタのオンパレードだったなという感じ。それでも、サイファ能力が消えて心底喜んでいるコウは、それまでの物語からまったくぶれない様子で安心しました。
 ライトジーン市に帰っていくシーン、ラスト一文はタイトルと合わせるために無理やり感があった気もします。わりと微妙なんだけれど、フライカ内の「妖怪一族」は和気藹々楽しそうなので、まあいいかな、とも。
 ちょっとケチつけちゃったけれど、全体的に大変面白かったです。