円城塔『Self‐Reference ENGINE』

 祖母の家を解体してみたところ、床下から大量のフロイトが出てきた。
 問い返されると思うのであらかじめ繰り返しておけば、発見されたのはフロイトで、しかも大量に出現した。フロイトという名の何か他のものでしたなんて言い逃れることはしない。フロイトという姓のフロイトであって、名をジグムント。
 強面だ。

Self‐Reference ENGINE (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

Self‐Reference ENGINE (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

 いけね、これ文庫版出てた。ま、それはともかく。
 タイトルは直訳するなれば、自己参照機関? ディファレンス・エンジンと並べるならもうちょっと気の利いた訳が必要なんだろうが、残念なことに自分にはそんなウィットはないらしい。
 本書の内容は、引用文がだいたいの所を物語ってくれる。全編こういう調子で、訳の分からんヨタ話が続くのだ。ただまあ、帯で神林長平が色々言ってくれてるように、それだけの作品ではない。
 こう言うとなんかビッグネームのお言葉というバイアスがかかりまくっているかのように思われそうだが、そこを差し引いても読み終える頃には不可解な感動がこみ上げた気がしたからまあいいじゃない、と。
 内容を整理すると、まずイベントという現象によって、時間というものがぶっ壊れた世界が舞台。
 具体的には勝手に過去が改変されたり時間線がごちゃごちゃになったりと、何かタイムパラドックスの自己修正が行われ続けているような感じか。そんで再生医療の発達もあって、人類はほぼ不死だったりする。
 そのような状態にあって偉い人たちは時空を元通り結合させようと頑張り、一般の人々は混迷を極める世界でもまあそれなりに日々を生きている。そんな人類に協力するは巨大知性体という進化した電子頭脳たちなのであった。
 この巨大知性体、人類が無限に早い演算というものを実現しようとした結果生まれたものなのだけれど、その成果として起きたアクシデントがこの時空崩壊なのでした。んじゃいっそ巨大知性体を絶滅させたら時空も正気を取り戻すんじゃね? っていう指摘は一応作中でも出ているけれど、一応それが達成されてもやっぱりあまり変わらなかったんでどうしようもない。
 結局の所、時空は統合されないままこの物語は終わる。まあこの辺の背景は読んでてどうにか掴める内容のことだし、あまり深く考えず馬鹿話の数々に付き合い続けても問題はないんじゃなかろうか。
 ともかく本書に見られる数々のエピソードはキツネにつままれたようなというか、何が何やら訳が分からぬ内に始まって、やはり訳の分からぬ内に終わってしまう。
 胎児の時に未来方向から弾丸を撃ち込まれた少女、めったやたらに家具の生える家と村、未来方向へ操縦桿を急速旋回すれば自分を撃墜してしまう戦闘機、いきなり出ていきなり消えるアルファ・ケンタウリ星人、おまけに最後らへんでちらっと出るクトゥルー用語、「猫さ」「鯰さ」、A to Z理論とかミステリマニアのくだりはもう悪ふざけの極みじゃねーかと。
 それでも何か面白かったんだから、これは不思議というより不可解な話なのだった。終盤出てくるエコーの、決して誰にも理解しえぬ言語で思索を続けるエピソードなどは、詩的な浪漫を感じる。それの前に出てくるリタと祖父の話もいい。
 物語全体には一応、リタ、ジェイムス、そしてリチャードいった共通のキャラクターがいて、あっちこっちに顔を出す。エピローグの一つ手前では彼らのエピソードでそれなりにまとめが図られた。
 それが本当にまとまっているかと言うとかなり怪しく、むしろこれからがまた別の始まりという様相で、つまり本書で入れ替わり立ち替わり始まっては終わっていったドタバタ騒ぎの無限連鎖。そのまた一つでしかないようだ。
 この本の外でもずっと馬鹿騒ぎは続いていくのだろうし、そのことについちゃエピローグがしっかり保証してくれている。いやぁありがたい。量産型うんぬんのやつとか巨大亭八丁堀なんてかなり読みたいのだけどどうか。


 僕の頬を伝っていくこの液体は、喜びとだけ呼ばれ、知られている非物質だ。
 おかえり。ジェイムス。