ロバート・A・ハインライン『夏への扉』

 この世の真理がどうであろうと、ぼくは現在をこよなく愛しているし、ぼくの夏への扉はもう見つかった。
 そして未来は、いずれにしろ過去にまさる。
 誰がなんといおうと、世界は日に日に良くなりまさりつつあるのだ。人間精神が、その環境に順応して徐々に環境に働きかけ、両手で、器械で、勘で、科学と技術で、新しい、よりより世界を築いていくのだ。

夏への扉 (ハヤカワ文庫 SF (345))

夏への扉 (ハヤカワ文庫 SF (345))

 ハインラインの傑作と名高い一編。
 わりと有名な作品なので、Wikipediaとかですぐに粗筋が読めます。しかしこの作品は、先が分かっていてもワクワクできる生粋のエンタメ仕様なので、うっかり見ちゃっても大丈夫。というわけで、当エントリもネタバレしてます。


 いわゆるタイムトラベルものの一種で、タイムパラドックスの問題を冷凍睡眠との併用で辻褄を合わせた所が抜け目ない作品。面白いのは主人公が技術者なので、冷凍睡眠によって技術的ギャップが生じてしまうところ。
 未来社会の技術のなんぼかは、彼が三〇年前に設計したもろもろが基になっているのだけれど、彼が眠っている間にそれは発展し続けていたのだ。そうやって「時代遅れ」の存在になりながらも、我らが主人公・ダンはへこたれない。むしろ未来の最新技術を取り込む意欲満々である。
 本作品は主人公のキャラクターと、彼による一人称の語り口が大変個性的かつ活き活きとしていて、読者はそれを追うだけで滋味を得られるだろう。SFは普段読まないという人でも、面白い物が読みたければ手を出して損はない。
 初めて読んだハインライン『宇宙の戦士』は暴力/軍隊に対する作者の考えが長々と語られていて、他は面白いけれどそこだけ退屈を感じることが多かった。それで私はハインラインに「お堅い作家」のイメージがついてしまったのだが、それを痛快なまでにぶち壊してくれたものだ。
 とにかく娯楽作品として優秀なのはもちろん、「家事ロボット」の誕生と発展、普及が豊かに、かつ説得力を持って描写され、パラドックスの整合性も華麗にまとめて実に鮮やかなのだ。映画にでもなれば面白かったろうに、残念ながらそうはならなかった。
 時間往来もののSFではスタンダードな作品で、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』もこれを下敷きにしているとか? しかし、それぐらいよくできたプロットなんだから仕方ない。
 惜しむらくは、時代背景のなせるわざか、やや女性の描写が悪い点だろうか。悪役のベルはまあ譲歩できるとしても、リッキィがちとご都合な造形になってしまったのは残念だった。他の男性キャラクターはみんな良い感じなんですけどね(マイルズは除く)。
 残念ながら、現実の二〇〇〇年代はこの作品でハインラインが夢想したようなご立派な物にはなっていなかった。まあ三〇年前に冷凍睡眠そのものが実現していないんだから、そりゃしょうがないんだが。
 歩かなくても乗っているだけでいい滑走通路(レトロなSFの未来像ではお約束)とかありましたが、ホンダの自立椅子みたいに、小型の乗り物を開発したほうがコストも楽そう……。てな具合に、現実はやはり想像を超えるものなのですね。
 しかしそれこそ、この作品のメッセージである「未来はよりよくなっていく」ことの証明でもあるのだなあ、とも思います。