長谷敏司『戦略拠点32098 楽園』

 どうして条約が『完全な機械の兵隊』を禁じているのか? 今の彼にはわかる気がした。
 この戦争を単なるデータのやり取りにしないためだ。コピーのきかない人間という財産を浪費したかったのだ。きっとそうしたほうが、戦争が高級になると思ったのだろう。余計なお世話だ。
 条約を作った連中は、戦争から何か学べるとでも思っていたらしい。

戦略拠点32098 楽園 (角川スニーカー文庫)

戦略拠点32098 楽園 (角川スニーカー文庫)

 三大ロリライトノベルに数えられる『円環少女』でヒットを飛ばした、長谷敏司デビュー作(第六回スニーカー大賞・金賞)。
 巻末の広告を見てると、ラグナロクが全盛で三雲岳斗がデビューしたてで、神坂一シェリフスターズやってて、ガンダムノベライズはターンAで実に時代を感じる。……うん、激しく余談。
 全体として二〇〇ページたらずの作品なので、お手軽に読める一冊です。
 人類が二つの勢力に別れて、ウン百年単位の星間戦争を長らく続ける世界。汎銀河同盟軍の兵士ヴァロワは、そんな世界のちっぽけな歯車の一つだった。人類連合軍が厳重に守る〈戦略拠点32098〉に降下するまでは……。
 上記のような大筋のもと、機械化された兵士のヴァロワ、楽園に住む無垢な少女マリア、マリアを守る連合側の元兵士(九割以上機械でほとんどロボ)ガダルバの三人が、楽園のように牧歌的な戦略拠点で交流していく様を綴る。
 上流階級の高級リゾート地でも見られないような、豊かな自然に恵まれた『楽園』。
 そこは人類連合軍の墓場として機能し、埋葬された死者はやがて花となる。ところがヴァロワの属する汎銀河同盟では、死体を埋めるなんて真似は映画の中だけの出来事で、兵士の死体さえリサイクルして補給に回されるのが常識。
 彼の言葉の端々から、気味が悪いほどテクノロジーの発達した社会と軍の姿が垣間見えます。戦争映画に触発されて、映画のヒーローと同規格のボディにした兵士がいっぱいる、とか。出産は自分の腹じゃなくて人工子宮でするもの、とか。
 そんな、二十一世紀の我々から見て非人間的な世界と、いつの時代も非人間的なものたる戦争のまっただ中、ヴァロワが放り出された『楽園』は、彼の生き方やそれまでの価値観を否定するような場所でありました。
 いわゆる戦争というものを、個々人の固有性を損ない続けるものであると定義するなら、この物語と楽園の中でヴァロワが取り戻したのはそれこそ固有性だったのだろうなあと思うのですが。ま、それだけだと割と普通の話ではあります。
 戦いしか知らない兵士が、激戦地の中にある楽園に落っこちて、女の子と牧歌的な生活に癒されて云々。
 そう言ってしまえば単純な筋ではありますが、この作品がもう一ひねりされているのは、楽園とマリアの正体に隠された秘密でした。楽園それ自体の不自然さは、「動物が一匹もいない」という点などで最初から指摘されています。
 が、マリアの正体はなんというか。「さすが作者、ロリ好きだなー」と笑ってすますのもいいんですが、中々哀しい在り方には違いないわけで。
 ただ、マリアがエピローグでヴァロワのことを口にするシーンは、なんでそれが可能になったのかイマイチ不明瞭だったので、ご都合気味に感じられたのは残念。まあガダルバが完全にマリアラヴに目覚めたからいいや、ハハハー。
 なんかこー、ロボットのようにでかくてごつくてかたい物と、女の子や子供のようにちっちゃくて柔らかい物の取り合わせって萌えませんか。ねえねえね。まとりあえず、あの楽園に流れ星が落ちなくなったのはいいことなのでしょう、たぶん。