冲方丁『マルドゥック・ヴェロシティ』

 クリストファーにとっては、俺もお前も、みんな犠牲者だったんだ。いつも俺たちに、犠牲者ではなく別のものになって欲しがっていた。自分だけでなく他者をも救済する力を持った存在に。

マルドゥック・ヴェロシティ〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)

マルドゥック・ヴェロシティ〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)

マルドゥック・ヴェロシティ 2 (ハヤカワ文庫JA)

マルドゥック・ヴェロシティ 2 (ハヤカワ文庫JA)

マルドゥック・ヴェロシティ 3 (ハヤカワ文庫JA)

マルドゥック・ヴェロシティ 3 (ハヤカワ文庫JA)

 マルドゥック・スクランブル続編。個人的にはこちらが好み。
 一巻は研究所時代から始まり、マルドゥックシティでの09設立と実にワクワクするお膳立てを詰め込んでくれる。
 二巻は錯綜し深まる謎を追っての、捜査につぐ捜査──と、やや冗長で中だるみと思えたが、終盤でカッと加速してくれる。
 三巻はその余韻に矢も立ても堪らず読み進めると、壊滅的な展開がどんどん繰り広げられ、一気に読んでしまった。
 ただ、「続編」であるなら、文体を変えずにいてほしかった。初期クランチ文体作品ですからね、これ。まあこの文体ナシであのアクションシーンがどうなるのか、はなはだ想像しづらいのが難ですが。
 スクランブル本編では適役だったボイルドを主人公に据えた過去編。穿った見方をすれば「あの悪役にもこんな哀しい過去が……」ともなりますが、スクランブル本編だけでもボイルドは結構好きだったので自分としてはアリ。
 過去編なだけあって、まだカジノや法務局ができる前のマルドゥックシティや、そこで生きる人々(バロットの兄とか)の姿が見れます。ギャップが特に激しかったのは、何と言ってもイースター博士ですね。
 初登場時は「え? 誰この百貫デブ? 同名の別人?」とか思いましたが、読み進むうちにどうやら当人に間違いないと確信してあんぐり。
 バロットにちらっと言っていた「人体改造の罪で刑務所に送られかけた」の顛末も出てくるのですが、その裁判沙汰で主人公らに随分迷惑をかけてるしで、わりとダメ人間。クリストファー教授にいちいち追従したりオウムになったりして、「冴えない男の見本のような間抜け顔」とか言われてしまう。
 だからこそ、ウィスパー(09メンバーの一人で、一見寝たきりの電脳カウボーイ)との一件は大きな転機でした。
 直前の「助けて!」は情けなさ最高潮ではあったんですけれど、それだけにまた。殺人ポルノビデオ見てゲーゲー吐きまくるあたりとか、一般人的反応が特に多くて、共感しやすいキャラクターでもありました。ザ・パンピーというか。
 クリストファーの死後、コピーキャットになった彼が、スクランブルではバロットに言われて道化の扮装をやめたってのは、その心情を想像するだにたぎるものがあります。
 さて、ついスクランブルのキャラから語っていますが、ヴェロシティのみ登場のキャラも魅力的なヤツらばかりです。
 マルドゥック・スクランブル09(オーナイン)。禁止された科学技術によって肉体を強化された元兵士たち畜獣、そして彼らを率いるクリストファー教授によって執行される証人保護プログラム。
 メンバーはご存じ”徘徊者(ワンダー)”ボイルド&万能道具ウフコック、怪力の”拳骨魔(フィストファッカー)”ジョーイ、殺しても死なない”再来者(レヴナント)”ハザウェイ、義腕からベアリングを掃射するラナ、多元視界を持つ”盲目の覗き魔(ブラインド・ピーピング・トム)”クルツ、その忠実なる不可視の猟犬オセロット、顔面を自在に変形させる”砂男(サンドマン)”レイニー、盗聴と集極音波を使いこなす”悪党”ワイズ。これに前述のイースター、ウィスパー、クリストファーを加えて、総勢十人と二匹。
 しかしスクランブル時点では、09の委任捜査官はイースター・ウフコック・ボイルドしか残っていないわけで……畢竟、他の面子には登場時から死亡フラグが立っているわけです。最初の死者があの人なのはある意味わざとらしいチョイスかも?
 このへんの抹殺ぶりは中々凄まじく、「え、そこで死ぬの!?」っという場面も結構多かったですね。ただ、オセロットだけは普通の戦死じゃなくて、あんな形だったのがどうにも……実に理不尽、かつ讃えるべき死でしたね。
 09メンバーではジョーイが好きでした。なんかその気もないのにゲイに好かれてしまったり、半ベソしつつファイティングポーズとって強敵に挑んだりって。
 あと、ボイルドのコーチ役・フライト刑事も、改造とかされていない普通の人(そしておそらく、作中では貴重な「常識人」)でありながら、キャラ立ちもしっかりしてました。それと、検屍医のワイ・アンド・モス。彼の意外な正体にビックリし、更に最後の最後で果たした役割は実に予想外ながら、静かな納得もまたあり。
 しかしその一方で、敵集団カトル・カールの変態っぷりはどうしたものか。
 こちらも09同様に総勢十二人のメンバーなのですが、ほぼ全員が機械化によって化け物のような姿になっています。で……その姿が、各人のフェティッシュを具現化したような悪夢のごとき造形をしていやがる。
 ホーニー・ソープレイとかね、あんな「下品なトナカイ」ヴィジュアル的にかなりアウト。ゴキブリ男とかいるし。その上、機械的な一つのフレーズをひたすら繰り返すだけで、指揮官のフリント以外はまともな台詞がない。スケアクロウが四歳児の知能だったことを考えると、まともな人格が残っているのかかなり怪しい感じ。
 09メンバーだけ見ると「冲方版Xメン」(あるいはファンタスティック・フォーとか)となりそうなんもですが、舞台となる都市のダークサイドやそこに潜む異形の傭兵カトル・カールのおかげでそんなティストにはならなかった。
 やたら同性愛や近親相姦ネタが出てくるし、拷問されて死ぬ人も結構いるし、スクランブルより更に血なまぐさくハードコアな雰囲気を漂わせています。スクランブルがバロットの再生(新生)の物語だったのですから、その「裏側」であるこちらは、そのほうが相応しいのかも?
 ミステリーさはあったけれど、謎解きが性急というか人の話聞いて解答編終了ってのはやや物足りなかったにせよ、ボイルドが「約束の地(グラウンド・ゼロ)」へ至るその軌道は確実に描き切られていました。
 希望としては更にマルドゥック最後のシリーズとか完結編とか銘打った作品がも一つ出て、委任捜査官となったバロットと、緑の目をしたあの娘が絡む物語を見てみたいもんどえす。


「おお、炸裂よ(エクスプロード)! 塵と灰に。おお、炸裂よ(エクスプロード)! そして残された者たちは、こう呼ばれるのだ。哀れみを込めて──生存者と」
 後には虚無だけが残った。