冲方丁『マルドゥック・スクランブル』2・3巻

 良い匂いだ
 君の魂の匂いだ。俺の信じるべきものがあるとすれば、これだという確信をくれる。俺に君を信じさせて欲しい。
 俺は俺を、君に託す

 一巻を読んでからだいぶ間が開いてしまったが、二巻と三巻の感想。実は二巻は一巻のすぐ後にとっとと読み終えたので、間が開いたのは二巻と三巻の間だったりするが。
 大変面白かったには違いないが、やはりカジノシーンがネックだなあという印象の作品。
 記憶じゃ本書の刊行当時、「カジノシーンがすげぇ!」「さすが作者が『書いててストレスで吐いた』と言うだけはある!」的な賛辞をよく耳にした覚えがあります。
 で実際読んでみるとどうか。なるほど、確かにこりゃ吐くってのも納得だなあっていうか冲方丁は執筆のストレスでよく吐くよね(続編のヴェロシティもそうだったと後書きにあるし)。んーマルドゥックシリーズ以外だと何で吐いてたかな?
 ただ、カジノ編は長すぎて中盤がダレたなあと思う。二巻の終わりから三巻の半ばまでずーっとカジノですからね。それまでの疾走感とかぶつーんと切れてしまった感じ。
 カジノ編序盤は、ドクターがギャンブル好きという意外な一面が明らかになったり、バロットがドクターの姪っ子という演技をがんばったりで色々と面白かったんですが。ブラックジャックに入ってからがほんと長すぎた。
 マーロウってアシュレイの前座だったわけですが、ページ数だけ言うとアシュレイよりずっと出張っていますしね。まあアシュレイとの勝負があれ以上長引いてもアレだったんですけれど。ベル・ウィングばーさまも、登場は短いけれど強烈な印象だったなあ。
 拘りとか情熱は伝わってくるんだけれど、やり過ぎて過剰に書き込んじゃったんだなーという案配でしたね。カジノ編。
 ゲストキャラ(アシュレイとベル)や、ドクターの意外な一面&バロットへの応援(知能がうんたらの下り)などなど好きな要素はたくさんあるんですが、いかんせん構成バランスとしては問題がある感じ。
 まあカジノ編はさておいても、いい作品でした。
 練り込まれた衝動が結実したような、弾丸を撃ち尽くした銃じみた熱を感じさせてくれる。「焦げ付き」「有用性」「殻」「濫用」といったキーワードを印象的に散りばめる、こなれた文章。海外翻訳物っぽい、英語の言葉遊び。
 主人公のバロットは、後のほうになると戦闘といいギャンブルという無敵って感じの存在になっていて「おいおい」って気分でしたが、一巻のころとかは「虐げられた存在」「社会的弱者」としての少女性を存分に発揮していてくれて、読み応えありました。そしてそんな彼女だからこそ、ウフコックを「濫用」し、それを反省して最高の使い手に成長していく様もいい。
 それと、何度でも読み返せる深さや奥行きがある作品ですね。
 たとえば『冲方式ストーリー創作塾』で、本書をどんな風にして書いたか作者当人が解説してくれているのですが、作品に先んじてこれを読んでいた私はいちいち「あーあれはここか」って納得しながら読み進めたりしてました*1
 三巻と二巻の解説文といい、どういう文脈・意図で書かれた作品なのかってことを考察してみるとまた味わい深い。様々な意味や命題が複雑に絡み合って、多重層を成しているイメージ。
 そして続編の『ヴェロシティ』もまた、再読の楽しみを与えてくれる物であります。本編では人を食ったような博士キャラであるドクターが、あっちでは肥満体のダメ人間だったりとか。幼い感じのウフコックとかとか。
 何というか、創作には既に確立された技術論や方法論はあるのだけれど、結局のところ出来上がるものには作り手の固有性や想像力がどうしても作用してくる。言ってみれば才能とか感性とかの部分が。
 まあ才能という呼び方は気にくわないので、感性とまとめて創造力と呼ぶのだけれど、冲方丁はやはり創造力そのものに優れた作者なのだなあと、改めてそれを見せつけられ、圧倒される作品でありました。

*1:って、これ一巻の感想の時にも書いたかもしんない