神林長平『膚の下』(文庫版)上・下

 アートルーパーの破壊力はおそらく地上に存在するどんな爆弾よりも強力だろう。物理的な破壊力を持つ爆弾よりも、創造力を有する人工物のほうが危険性は高い。世界そのものを破壊する可能性を持っているのだから。アートルーパーはまさにそのような存在だ。

膚(はだえ)の下〈上〉 (ハヤカワ文庫JA)

膚(はだえ)の下〈上〉 (ハヤカワ文庫JA)

膚の下 (下)

膚の下 (下)

 ざっと1200p、久しぶりにたっぷり読んだが、いやー面白かった。基本的に淡々とした筆致なのだが、短い章の変わり目ごとにヒキが来て読者を飽きさせない。
 たまにバタバタしている場面(仲間と合流できるか、上司と連絡が取れるか心配していた次の章で、時間が飛んで全員そろっていたり)もあったが、構成も隙がない。あらゆる伏線や登場人物が無駄なく使われていて、やたらキレイに纏まっている。
 まあ、ベテラン作家に今さらそんなこと言うのも失礼な話ではありますが、私は神林長平はこれが初めてということでご勘弁を(十年ぐらい前に短編集を一冊読んだ覚えがあるが、もうほとんど記憶に残っていなかったりする)。
 この話は『火星三部作』の最終巻だったりしますが、前二作とは世界観的な繋がりのみで、話的に繋がっていないとのこと。人造人間の話はこれのみらしく、私が人造人間の話を書くので、参考にと思って手を出した次第。
 戦争で地球が荒廃し、人類は火星への一時退避を決定。地球環境の回復と都市の復興は、機械人に任された。だがその期間は250年、人類は冷凍睡眠中の留守番および機械人の監視を、人造人間アートルーパーに任せたのだった。
 そんな世界でアートルーパーとして生み出された主人公・慧慈(見た目成人男性・実年齢五歳)が、己の存在意義に悩み、開眼し、アートルーパーとしての自己実現を果たす、そんな物語です。
 王道と言えば王道ですが、そのスケールは壮大(舞台は荒廃したヨコハマに限られますが。あと地下都市か。火星なんて話題だけですし)。
 物語は世界が一回滅んだ状態からスタートして、世界復興のために人間は人造人間を創造した。ところが復興に関しては人類同士でも意見の相違があって、結局足の引っ張り合いになっている。
 そして、人間同士が取り合いをしている世界を救ったのは、彼らが創造したアートルーパーだった。
 人間が創造したモノが、また新たなものを創造するこの連鎖。けれど、作中で慧慈が選んだ創造はある意味恐ろしいことで、創造というあくまで残酷な行為は続いていく。
 後半では慧慈が色んな人(人間からもアートルーパーからも)持ちあげられて、何だか神様みたいになっていくんですが、それも含めて宗教的・神話的な趣がありますね。序盤の頃は五歳という年齢に違わぬ「子供」だったというのに……。
 序盤は部隊内でいじめられたり、上官たちが慧慈の扱い方で対立していたりと、アンドロイドものとしては普通という印象でした。しかし、訓練期間を早めに終え、実戦配備される慧慈を見送る「卒業」のシーンから、本作独自のアンドロイド観(創造主と被造物観)が出てきます。
 この時の間明少佐の言葉は、慧慈のその後を決定づける大変重要なものでした。以後終盤まで少佐の出番はありませんが、その存在は深く慧慈に意識されています。このへんの扱いは実加同様ですね。
 人間に造られた兵士が、人間の作った文字を、人間の少女に教える。実加と慧慈のこの出会いは、まさに本作の焦点。
 他に、お約束として「人間になりたい人造人間」晋彗のエピソードなんかも。
 彼は最初、当人が登場する前に慧慈らの間で噂になっていて「あいつは変なやつだ」とか言われているんですが。晋彗がしゃべる前にキャラが説明されているよーとか面食らいました。
 で、実際に晋彗が登場してからも、ちょっと可哀想だけれどあまり好きになれないかなあと思っていたのですが、彼が爆心地へ自ら向かう決意をしてからはまさに白眉。彼の死に様は慧慈の新世界構想にも影響を与えたのでしょうね。
 いやまあ、ミックロック(ナノ・アセンブラ兵器)の存在に限らず、あらゆる人々との出会いと経験が、慧慈にあの「啓示」をもたらしたんですけれど。最初にあの発想を聞いた時は突拍子もないとか、荒唐無稽とかいう印象でした。
 作中は人造人間が存在することからも分かるように、地球はボロボロだけれどテクノロジーは高度に発達しているので、みんな真面目に検討してくれたような気が。
 作中では繰り返し、「創造」という行為の業深さ、恐ろしさなどが語られていますが、小説の執筆に対してもそれを言及して感じられました。文字や言葉が重要なものとして繰り返し登場している所などから、そうとうかがえます。
 例えば慧慈の日記に始まり、「切り離された」アミシャダイに「言葉がある」と励ますシーンだとか。日記を受け取った実加というエピローグは実に爽やかでした。少しだけ、登場人物たちのその後も分かりましたし(善田は家族に再会できたかな?)。
 ……しかし長尾師勝ってもっと手強い敵になると思っていたら影薄かったですね。人の寝込みを襲ってほとんど終わりだったような。むしろ脇役だと思っていたシャンエがあんな壊滅的な事態を引き起こしてくれやがりまして、何というか一番怖い敵になっていましたよ。彼女は最後、新しく誕生した三羽の鴉を見てその怨念を満足させたのでしょうか。
 それにしても、執念を感じた一冊でした。
 被造物が創造を行うことが創造主への復讐であり、また創造主は「これになら復讐されてもいい」というものをこそ創造する。著者が創造という行為に創作を含んでいるならば、神林さんが復讐したかった創造主とはなんだったのでしょう?