ワナビとラノベラノベのやめときゃいい関係

 パロディが生まれることはそのジャンルの成熟を表わす……ってのは、どこの言葉だっただろうか。最近は「ラノベをネタにしたラノベ」という、セルフパロディ作品が目立つようになった気がします。
 第十六回電撃大賞でも、一次通過作品にラノベの名を冠した作品がちらほら見受けられますね。
 昔からワナビラノベ作家志望者)や作家志望を題材にした作品ってのは一定数投稿されていたのだけれど、商業作品にラノベネタのもの(ラノベ作家主人公だったり、ラノベ部とかあったり)が増えてきたことが、市民権を得る背景になったんだろう。なんつーか、それはあんまりいい傾向じゃない気がする。
 いや、商業としてそういう作品が出ること事態を批判する気はないのだけれど、「勘違いしちゃうワナビ」がますます増えるという点においては。こりゃ憂慮すべき事態かもしんねーべって。
 今もこのネットのどこかに生息しているであろうとある知り合い(とうに縁は切った)は、そういう「ワナビをネタにした作品をラノベ新人賞に送れば注目してもらえる」と勘違いしている典型的なタイプだったものです。
 バイトと囁かれるラノベ新人賞の下読みさんだって、一応プロの作家だったりする(スニーカーの六塚光氏は、自ブログで下読みをやっていたことを明かしてなさる)。
 そういう人種が読むってえのに、主人公が「そうか、キャラクターって作者が都合良く動かす駒じゃ駄目なんだ!」と開眼するような釈迦に説法小説を送りつけてどうしようと言うのか。
 ようはデビューして、卵の殻が取れたようなプロが自虐的に手を出すような題材なんだから、新人やそれ未満には危なすぎる。
 まあラノベ新人賞からラノベネタの作品が出たら、それはそれで面白いけれど。ワナビだからワナビ主人公にして書こう! というのは、発想の段階で大丈夫かと言いたい(よほど面白い切り口で書くなら別ですが)。
 前述の知人に上記のようなことを言ったけれど、さっぱり耳に届かなかったものだ(無論、結果一次すらかすってない)。
 つまるところは「身の程を知れ」というところ。さもなくば恥をかくだけでなく、いつまで経っても結果が出せず、やがて間違った自己愛だけ発達させてひねくれ潰れてしまう。
 さてさて、この偉そうなこと言ってるぬえやはどうでしょうねえ?