フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』

 人間型ロボットは、どうやら本質的に独居性の捕食者らしい。

 SF小説は印象的な、もしくはかっこいいタイトルが多いのですが、中でも群を抜いたかっこよさで有名な本。随分昔から有名だったのですが、ようやく手に付けました。
「八人の逃亡アンドロイドを追うバウンティ・ハンター」という粗筋を読むとアクション物っぽいんですが、内容を正確に言い表しているとはいえないような。そも二人のアンディーは主人公の上司が先に廃棄しちゃってますし。
 だから主人公が相手するのは六人のアンドロイド。映画版のブレードランナーはこの作品とは別物と化しているらしいですが、この粗筋から想像されるようなアクション物として忠実に作っているのかな? 小さい頃からよくテレビで放映してましたがちゃんと見た覚えがないです(シュワちゃんのアクション映画あたりと記憶が混在している気がする)。
 一読して驚いたのは、アンドロイドの書き方が今現在から見ても斬新であることでした。
 解説文でも言われているのですが、この作品では人間らしさとはすなわち感情移入として描かれています。作中で登場するアンドロイドたちは、人型ロボットと言われているにも関わらず、基本は有機構造物のもよう。
 つまり造りそのものはほぼ人間と同じで、ただ肉体能力や知能が優れている(奴隷労働させるしね)。そしてアシモフではなくディックですんで、ロボット三原則なんぞ無く。
 ので、就労環境に不満を持った一部のアンドロイドは、主人をぶっ殺して地球に逃亡したりする。もちろん犯罪なので、主人公のような賞金稼ぎがハンターとして対応します。と、これだけならまだ普通。
 作中のアンドロイドが人間たりえない理由の一つが「感情移入能力の欠如」なのであります。だから、どんどん人間と見分けの付かなくなっていくアンドロイドを見分ける唯一の手段として感情移入度検査が用いられる。
 電気で動く偽羊しか飼えない主人公が、本物の動物を求めるのもまさにその一点がため。
 アンドロイドは動物に愛情を持たない、人間の真似をして動物を飼ってもうまく行かない。アンドロイドの賞金は一人千ドル、彼らを殺したその金で、主人公は人間の証明を手に入れる。
 この世界のアンドロイドはいわば奴隷階級なわけでして、
われわれぜんぶをひとまとめにしたよりも、ミミズやワラジムシのほうがだいじがられる
 と言うほど。この奴隷制についての批判とか言及とかに結構関心があったんですが、残念ながらこの作品ではそれは主眼ではないのがちょっと残念。
 しかし、奴隷としてのアンドロイドは他作品でもよく登場しますが、「アンドロイドと人間の違い」をこうも徹底的に、構造や能力といった「外面」ではなく、感情移入という「内面」に求めている点が希有です*1
 やがて主人公は、「人間よりも人間らしい」ふるまいをするアンドロイドに対し、感情移入さえ覚えるようになっていきます。こうなるとアンディーとヒューマンの識別は困難になってきますが……?
 そんなこんなで楽しく読めました。眉村卓発祥の造語「映話」がしょっちゅう出てきたり、ソ連がまだあったり、自動車が空をびゅんびゅん飛んでいるレトロな未来世界が微笑ましい。
 そして同時に、テレビのように「ダイヤル」さえしてしまえば、自由に気分や態度を調整してまえる情調(ムード)オルガンやマーサー教と共感ボックスという作者独特のギミックもあって、そこがこの作品を古びたものに変えません。
 あと、アマンダ・ウェルナー(アニメ『ブラスレイター』に同名のキャラがいる)が出た時は笑いましたが。偶然かな。
 ただ、レイチェルと再び会ったあたりからがちょっとドタバタしていたような印象があります。
ニューロマンサー』でモリィとケイスが出会って間もないうちからセックスになだれ込んだりしたのもピンと来なかったんですが、諸々承知の上でレイチェルとリックが事に及んだというのも(フィルの示唆があったとはいえ)。
 で、事後のやり取りもアップダウンが激しいというか*2。アンドロイドを全部片づけたと思ったら自殺しに行ったりと、ちょっと主人公の新定変化に置いてけぼりを喰らった感じ。何か読み落としたかなあ?

*1:寡聞にして私が知らないだけかもしれませんが

*2:これはまだ気持ちが分からんでもないですが。あんなことしてたと知らされちゃあ。