レイ・ブラッドベリ『ウは宇宙船のウ(新版)』
星々はきみたちのものだ。きみたちが、それに到達する頭と、能力と、心とを持っているならば、だが。
- 作者: レイ・ブラッドベリ,大西尹明
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2006/02/27
- メディア: 文庫
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「ウ」は宇宙船の略号さ
「主よ」「いとめでたき主よ」
それは確かに、”めでたき主”を称えるべきものだった。夢という夢の中から選りすぐられたうえ一つにまとめられた、堅くて美しい、そして最もはかなく消えやすい夢と化した、百年にわたる夢の姿であった。
──それからこの”夢”は目を覚まして叫び声を一つあげると、大空へと跳びあがっていったのだ。
少年クリストファと親友のレイフやは、宇宙船発着場のある町で暮している。彼らと仲間の子供たちは、土曜日にフェンスに張りついて、宇宙船の打ち上げを見るのがいつもの楽しみ。
宇宙への熱烈な憧れと、夢かなえた者とかなわなかった者の、切なくほろ苦い別れ。
ジュブナイルや児童文学的な味わいのある一編でした。
初期の終わり
私の年齢(とし)は十億歳だ、と彼はひそかに思った──わたしは生まれてから一分しかたっていないのだ。背の高さは一インチ、いや、一万マイルだ。目を落としてみても、足が見えない、はるかかなたの、ぐっと下のほうに離れているからだ。
ザ・幼年期の終わりパロ。
もちろんパロなのはタイトルだけなんですが、それが良い味出しています。人類初の宇宙ステーションを建造するため、宇宙船が飛び立っていく。そこに乗り込む息子を思って、庭のポーチから空を見あげる老夫婦のお話。
解説でも書かれていましたが、この作品集といかブラッドベリの作品は、宇宙という遠大なものへの憧憬と同時に、家族という身近な人々との暖かい繋がりが描かれていることが多いです。
家族ネタに弱い私には実に直球。これに出てくるお父さんが芝刈りしているのも、それがあちらの家庭では地に足のついた行為、日常的な家庭の風景を構成する要素の一つということでしょうか。
霧笛
あまりにも孤独なために人がそれを聞きそらすはずがなく、また、それを耳にしたものならだれでも心ひそかに忍び泣きをし、また、それを遠い町で耳にする人には、わが家がいよいよ暖かく思われ、うちにいることがありがたく思われる、そんな音を作ってやろう。
この短編集はSF以外のものも入ってまして、これもその一つっぽいです。幻想文学的といいますか。灯台守のもとへ訪れる怪異、その正体は……という感じ。
この作者の作品は、一つのイメージを執拗にかつ克明に描き出そうとしている物が多いですね。作品ごとに、それは宇宙への憧れだったり家族との絆だったりしますが、中には雨であったりいちご色の窓だったりします。
で、この一編はもちろん「霧笛」について。長々と先輩灯台守が語った霧笛の由来? から切り取った一節が引用部分にあたります。
宇宙船
その宇宙船には、時間と距離の匂いがした。時計のなかに踏みこんでいくのに似ていた。スイス流の精巧さによって仕上げられていた。時計鎖の先端に、飾りとしてそれをつけていいくらいに精巧だった。
宇宙×家族ネタその3。どうしても宇宙へ行きたいパパと、やはり宇宙旅行に行きたい子供たち。家族のため自分のため彼は策を巡らし、優しい嘘をつくのでした。こういう良いパパ像多いなあ。
親が子供に遺せる一番のものは「良い思い出」と言いますが、その意味で、まさに彼は世界一の父親です。
宇宙船乗組員
お父さんはたえずじっと耳をすましたり、歌を歌ったり、身のまわりのものをじっと見守ったり、いろいろなものをしっかりとつかまえて離さないでいるところは、この世の中がすごい勢いで回っている遠心分離器で、いつなんどきぼくら二人とばらばらに振り離されるかもしれない、とでもいうようだった。
家族×宇宙ネタその4。今度は前の作品よりやや長いのですが、こちらは落ちが悲劇寄りになっています。『宇宙船』はそもそも、しがないくず鉄処理屋だったのっですが、こちらのパパの職業はタイトル通り。
地球に三ヶ月おき(ぐらい)に帰ってくる父は、地上に戻ると地球を味わい尽くそうとし、二度と宇宙に戻るものかと思う。けれど、いずれは居ても立ってもいられなくなって、結局また宇宙へ帰って行ってしまう。
だから母は、夫がその仕事を始めた時から、もう死んだものと思っているのだった。そして母は息子に、宇宙船乗組員になるなと言いつけた。けれど、子供はどうだろう……?
太陽の金色のりんご
それがすくいとったのは、ほんの少しの神の肉であり、いわば宇宙の血、輝く思想、目をくらますような哲学であって、これこそ銀河を置きならべてこれを育て、惑星たちをその領域の中でぶらぶらさせたり押し流したりし、生命や生活にしっかりと定着せよと命じたり要求したりしたものなのだ。
地球のエネルギーが枯渇して冷えてきちゃったので、太陽に宇宙船で乗り付けて、でっかい杯でエネルギーをすくってこよう! という壮大な宇宙ファンタジーって感じのお話。豪快です。
なにぶん場所が場所、相手が相手なので、船内は少しでも冷やすためカッチコチ。南から来たり北へと去る物語。
雷のとどろくような声
「いや、そんなはずはない。こんなちっぽけなものであるはずがない。ないとも!」
「こんなちっぼけなものであるはずがない! 蝶なんかじゃない!」
タイム・パラドックスについて分かりやすく教えてくれる作品。
時間旅行が可能になった時代、古代へタイム・トラベルして、恐竜を撃たせてくれる旅行会社があった……と、何だか話に既視感を受けるなあと思ったら、映像化されていたやつを前に見ていたようです。
他の作品の主人公は、素敵なパパだったり純粋な少年だったりするんですが、この話に限っちゃ何とも愚劣で見てらんない主人公でした。でもトラヴィスさん、最後のあれは法的手続きなしで良かったのかなあ。
長雨
「あともう五分だ」
「あともう五分だ、そうしたら、海のなかへ歩いていって、そのまま歩き続けよう。おれたちは、この金星に向くようにはできてなかったのだ。地球人は、いままでも、また将来も、耐えられるはずがない。さあ、元気を出せ、元気を出せ」
雨が降り止んだためしのない惑星・金星にて遭難した軍人達の記録。激しく降り続く豪雨と、雨滴に打たれて眠ることも休まることもできない人間たちが、疲弊し、狂い、倒れていく様が綴られています。
最後は一応ハッピーエンドですが、基本的に長雨を描写するためだけの話だったという印象で残念。
亡命した人々
「やれやれ。ここにはまったく人っ子ひとりいないじゃないか? ここにはまったくだれもいないんだな」
同作者の『華氏451度』はまだ積んでいるんですが、本を焼くという共通項でそれを彷彿とさせる一編。
伝奇小説や幻想文学が廃棄された未来、それらの作者と登場人物は地球を遠く離れ、火星へと亡命していたのでした。しかし、そこへ彼らを焚書しにやってきた宇宙船が! というお話。
宇宙船の乗組員が魔女に呪殺される所から始まり、エドガー・アラン・ポオが先頭に立って、魔女や悪魔や怪物ども、シェークスピアやアンブローズ・ビアスといった面々とともに立ち向かうという、何とも奔放な内容でした。
終わってしまうと、お祭り騒ぎのようだった奔放さとは裏腹に、何も残らない寂寥さがまさに「祭りの後」という感じ。なんであれ本を燃やす世界は厭ですね。まあ、未来の人類がそこまで愚かなことはしないだろうと思いますが。
この地に虎数匹おれり
「そいつはこの惑星の血だ。生き血だ。その血を飲んで、それをからだのなかに入れてみろ、そうすればきみたちは、この世界を腹のなかに入れたことになり、腹のなかに入ったこの世界は、きみたちの目から外をのぞいて見、きみたちの耳を通して、物音を聞くようになるのだ」
意志を持っている惑星に到着した宇宙船。彼らの目的は星々を調査し、その結果を投資者たちに持ち帰ること。だが今度の星はあまりに素晴らしすぎて、誰も帰りたいとは思わないのだった。
船長のプロ意識が素晴らしかった。上に立つリーダーとして、金を貰って働いている職業人として、最後まで自分を見失いませんでした。チャタトンのあからさまな悪役ぶりはうーん? という感じでしたけれど。
しかしドリスコルの末路がどちらであれ、何だか怖い惑星だよなあ……。
いちご色の窓
金をもうけるためじゃない。まさに。観光のためでもない、まさに。そんな理由は人間がよくつく嘘で、ほんの気休めででたらめな理由だ。金持ちになれ、とか、有名になれ、とか、人はいう。しかし、そのあいだでも、たえず心のなかでは、なにかほかのものがかちかちと時を刻んでいる
家族×宇宙ネタその5。火星に移住し、開拓のために毎日新しく町を作っている主人公。けれど彼も彼の妻も、地球に居た頃の古い古い家や近所が恋しくて仕方なかった。そこでパパが取った方法とは……。
新しい世界と古い世界、色ガラスを通して見た世界という、子供のころの思い出。奥さんが語る「家」とはいかなるものかの論は、人にとっての原点風景や住まいの大切さ、恋しさを、はっと思い起こさせてくれる。
竜
この風は、いまにも死にそうな千人の魂であり、たえず乱れながら移動中だった。それは暗闇の中の霧の、さらにそのなかの濃霧で、ここは人間がいるにふさわしい場所ではなく、不意の霜と嵐と、それに、いわば落下してくる大きな緑色の板ガラスにほかならぬ稲妻の後ろで動いている白い雷鳴と、この三者から成る、顔のはっきりとしない空虚さのほかには、歳月も時間もまったくなく、ただこの二人の男がいるばかりだった。
一発ネタショート・ショート。竜退治にやってきた二人の騎士だけれど、その竜の正体はー。
落ちの部分に繋がるまでの「何が起きても不思議ではない荒野」はさすがの一言でした。
おくりもの
「いまクリスマスになったよ! クリスマスだ! プレゼントはどこ?」
おそらく、この作品集でもっとも短い作品。で、宇宙×家族ネタその6。
わずかな重量オーバーのため、用意していたクリスマスツリーとプレゼントを宇宙旅行に持ち込めなかった家族。けれどパパは、そんなことを知らない息子のために、とびっきりのプレゼントを考えついたのでした。
霜と炎
あのもとの絶壁に住んでいて、たがいに愛しあっているものたちのうちには、自分たちの談笑を途中で切りあげて、こうして運命に向かって走っている一組の男女の、遠くからはまるで二つの小さな点にしか見えない姿に目をつけているものがいるだろうか? また、子供たちのうちに、新しい果実を食べながら、自分たちの遊びを中止して、こうして限られた時間内に、全速力で駆けている二人の姿をながめているものがいるだろうか?
前作とは逆に、作品集内でもっとも長い作品。なんか数章に渡っていますし。
太陽からの放射線で、人間はたった八日間で急激に成長し、老いて死んでいく惑星。昔々に宇宙船が不時着したその地は、昼間は草木も燃えるほどの酷暑、夜は凍て付く寒さに見舞われて、夜明と日暮れの数時間しか外出もできない。
ただし忌まわしい太陽は一つだけ恩恵をもたらした。人々はテレパシーによって種族的記憶を受け継ぎ、数日の人生で必要な知識は全て手に入れることができる。主人公であるシムが宇宙船を見つけた能力も、その一環か?
あまりに短い人生と過酷な環境。そう、まるで悪夢のような世界。けれど人間は八日間で生まれて死ぬようには出来ていないから、主人公は必死で生きあがく。冒険小説的であり、英雄譚的でもあります。
主人公とヒロインの行く末にハラハラしましたが、最後がハッピーエンドで本当に良かったです。
タイム・マシン
するとわしはそこに立ったまま、神の腹心になったような気分を感じながら、猛烈な力の奔流がそばを通りすぎる、それこそ正午の真夜中に、全体が真っ黒で長く、悲しそうでいつまでも果てしのない、矢のように早い葬列みたいに、力にあふれるものがそばを通りすぎていく壮大な光景を見ていたのだが、まさか諸君は葬列に発砲はしまい、さあ、どうかね、諸君? どうなんだね?
ほのぼのSF。タイムマシンはもはや比喩ですなあ。こういう話もいいもんです。南北戦争その他のネタが出てくるので、注釈がかなり多いのも特徴か。国が違うと歴史の授業も違うしなあ。
しかし最後、なんでダグラスが女の子の名前で呼ばれるのか、さっぱり分からんのよね……。
駆けまわる夏の足音
「そいつはすごいや、ありがとう、おじさん。でもぼく、将来なにになるか、まだわからないんだ」
「なりたいと思うどんなものにでも、きみならきっとなれるよ」とサンダスンさんはいった。
「だれもきみをとめるものはおらんよ」
最後、SFではなくジュブナイルな感じに。
前書きで少しブラッドベリ自身が触れている、テニス・シューズについて。あー、男の子って、こういう「新しいシューズ」にやたら拘ったりする時期があったよねーというノスタルジィ全開です。
まあ私は女であって、そういう男の子が小学生ごろとかにいたなあ、っていう非常に間接的認識しか持てないのですが。く、悔しい……。前書きで男の子向け的なことを書かれているが、ここに来てそれかー。