歯医者の薬を間違えて酒で飲み干した。

 だからカフェイン入りのもので飲み下そうとするから!(紅茶にウィスキー入れてました)。
 お薬は正しく水で飲みましょう。
 なんか地味に歯抜け跡が痛い……(でも痛み止め薬飲むほどでもない)。


 マルドゥック・スクランブル二巻を読み終え、三巻に着手したのですがー。
 ここのところ、あっちを読んではこっちを読み、そっちを読んではどっちを読もう、などと並列読みに陥って、さっぱり読み進まなくなっているぬえやです。ごきげんよう

 さて、現在は大塚英志『ストーリーメーカー』を読んでいます。後半の「30の質問に答えて物語を作る」という項目が目当てだったのですが、これが中々楽しい。
 どっかで「質問に答えるだけでストーリーが作れるよ!」的なアオリを見たような気がしますが、要するに物語(のプロット)を設計する際の必要項目を分かりやすく、順序を追ってまとめているんですね。
 おかげで、プロットの作成を助けるツールとしてだけでなく、自分の過去作品や商業作品にあてはめて分析する、という楽しみ方もできます。
 まあ割と基本中の基本の物語構造を示しているので、何でもかんでも分析しきれるもんじゃないですけれど。定石を知らずして奇をてらうなかれとも言いますし(行きて帰りし物語が、興行的にウケやすいことにゃ違いない)。
 ただ、冲方さんのストーリー創作塾を読んだ時も思いましたが、こういった小説の書き方本はどうも読み手に一定の素養を要求するような気がします。……これは元から、私が創作論の本が嫌いだからってのもあるかもしれないんですが。
 本で読んだ創作の技術とかは、一通り頭に入れても、結局自分の手で実践してみない限り、どうも理解が追いつかない(ん、やっぱり私だけの気がしてきた)。うーん、むしろ知識があるからバイアスがかかっているのか?
 なまじ十年(以上)も小説書いていると、ある程度物語の文法は無意識に獲得している部分もありまして。自分が言葉で説明できなかった手法を、改めて客体視させられた感じです。
 が、逆に自分が会得していない技術については、頭で説明されても分からず、前述のような状態に陥るという……。学生時代は、文章表現(選択授業)の教科書から、シナリオの書き方本まで色々読んだんですけれどねー。
 まあその時も、「自分には合わん」ってすぐ頭から忘れてしまったのですが。カードでプロット作るとか実際やってみたけれど面倒だったものです。カードの中身書き換えるから、何度も作り直すはめになったし。
 色々な方法を試してみて自分に合った方法を探して、結局体得したのはわりと感覚で書く感じなのかなあ、というのが少し昔。おもに『回廊』で活動していた頃で、プロットとか箇条書きの粗筋どまりでした。
 が、その時代は百枚以下だからそれで良かったんですが、『回廊』が休刊して「よっしゃ新人賞投稿すっぞー」となると状況が違ってきたのです。
 いきなり今までの倍はある三百枚とか書かないと規定の枚数に達しない。それはあまりに遠大なことに思えたので、綿密に計画を立てたら、わりと細かいプロットを持った作品に仕上がったのが去年の夏。
 が、それは最初の一回目だけで、二回目はまだ少々細かかったけれど、三回目にはまた大分アバウトなプロットになっていました。慣れってやつでしょうか。
 この頃=現在になると、自分の中で物語の文法が固まったんだろうなと思います。今回ストーリーメーカーを読んでみて、ああ自分がプロット立てる時に何が必要なのか・どうするのが原理的に正しいのかって考えていた基準ってこういうことか、と理解。
 プロットや物語というのは、しばしば人に簡単な言葉で説明できるようにまとめることが求められます。投稿の際には必ず梗概を付けるよう規定で定められていますし、プロだと編集さんとの打ち合わせに企画書という形で提出する。
 この「30の質問」では、自身が漠然と考えている物語を明文化し、またそれを簡潔にまとめることを何度も求められています。
 物語の文法を獲得するのはいいんですが、その文法を意識してやることとやらないことと、自分の中の物語を人に説明できるレベルまで浮き彫りにしていく作業はとても重要なことだと今さらながら思い至りました。
 ……前作(キャラクターメーカー)も買おうかなあ。