コードウェイナー・スミス『スノーストリリア―人類補完機構』

 おはなしと場所と時——大切なのはこの三つ。

 物語の書き手というのを大別すると色々あるが、スミスの場合、それは「語り部」である。
いわゆる書物や出版という形態があまり整っていなかった時代に、電気の通わないあかりのもとで、大人も子供も夢中になるようなお話を聞かせてくれるような。スミス作品の各種書き出しを見れば、それが分かっていただけると思う。
 この作品は人類補完機構シリーズで唯一の長編だが、やはりその語り口は秀逸。
 なにせ冒頭で物語の始まりから終わりまで、あらすじをぱっと述べてしまうのである。そして「さあ、これで読まなくてもいい」と来たもんだ。そりゃあなた、読むしかないでしょ。きっと聞き手がいたら同じようにしていたに違いない……。
「じゃあ聞かせて、そのお話を!」
 というわけで、一人の少年が地球を買い取り、冒険をして、そしてまた故郷へ帰る話である。
 素晴らしい物語であり、スミス氏の豊かな宇宙がふんだんに生きている作品。なのだが……ちょっとこれ一冊だけで楽しみきるのは酷と言うものだ。なにせ他の短編集と交差する部分が多々あるのだから。
 主人公ロッド・マクバンの冒険を追うだけなら本書だけで事足りるのだが、あちこち「?」と思う箇所が出てくることだろう。犬娘ド・ジョーンとかね。あと、ネットで見つけた書評によると、「クラウン・タウンの死婦人」「かえらぬク・メルのバラッド」(『シェイヨルという名の星』収録。だがノーストリリア同様絶版である)、これを読むと読まないとでは地球の「下級民」イメージがかなり違ってくる。 んだそうな。キビシイー!
 残念ながら、ぬえやは前述の作品を読んでいない。絶版であるということで、唯一まだ売られている鼠と竜のゲームからスミスの宇宙に入ったのだが、他が……。本書だけは、やっとこ図書館で見つけたのである。
 こちらのサイトに年表があるので、興味がある方は参考にどうぞ。あ……シェイヨルってやっぱり、まだ機能していたのか(「袖の下のリンゴのように磨かれていた」って)。
 ティードリンカー委員が『悪夢刑』なるもののことを「シェイヨル送りより悪い」って言っていましたが、どんな刑なんでしょう。地獄以上に地獄的なシェイヨル以上とか想像がつかないんですが。まあ普通にシェイヨルがどんなのか知らんだけなんでしょうけれど。
 ……でも火星のヴォマクト医師がシ、ェイヨル行きになるかもしれない罪状のほうは納得がいかないなあ。スズダル中佐のしでかしたことは、でかすぎたから分からなくもなかったんですけれど。ぽんぽん送りすぎだぜ補完機構。


 さてこの作品、期待していた分、期待しすぎた分もちょっとあったかなというのが読了しての思い。何しろ主人公は大変な冒険をするはめになるものの、その背後には(彼が終盤まで知らなかっただけで)大勢の味方がいて、厳重に守られている。
 まあ彼の重要性からすると仕方がないのかもしれないが、当人の知らない所で色んなトラブルが起きては、知らない間に解決されていたりするわけで……。
 その他にも、主人公が地球を買う原因を作った敵・オンセック(名誉秘書官/オノラリー・セクレタリーの略)の扱いが不満だった。主人公はあるハンデを持っているため「間引き」の対象になるだろうと皆に考えられていたのだが、どうにかその難を逃れる。同じく、「短命」というハンデを背負うオンセックはそのことに嫉妬し、主人公を殺しにかかるのだが……。
 この人、主人公ロッドのいとこ・ラヴィニアその他の人々にボロクソに言われるのだけれど、当人の描写が全然なくて首を傾げるのですよね。とにかく徹底して悪い奴! とだけ。
 本書では大金持ちになったロッドに関心を寄せる、有象無象の人々の独白や思惑があちこちに差し挟まれるのだけれど、どういうわけかオンセックの心情や独白の描写は一切ない。
 ないまま、最終的にロッドと和解してニコニコ笑っていたりする。あれれれ? どっか見落としたかな? ってなもんである。何だか片手落ちのように感じて、これが不満だった。
 とまあ文句をつらつら並べた所で、本書の面白さにも触れておこう。
 物語の舞台は西暦一万六千年「つい最近」の未来である。長命薬ストルーンの発見によって、誰もが数百年の寿命を当たり前に持つ時代。人類は地球から宇宙へ進出し、他の惑星に移り住み、第二の火星や第二の地球を生み出すまでになった。
 ロッド・マクバンが住むのは、唯一のストルーン輸出星にして宇宙一富める星・ノーストリリア。意外にもこの星の住民は、巨万の富に対する節度を守るため、厳しい禁欲生活を自らに課していた*1
 そのような慎ましさの一つに、人口制限がある。彼らは十六歳になると、不適格者を間引いてしまうのだ。そして主人公は「テレパシー能力が完全ではない障害者」として、間引かれる側になろうとしていた。
 そこから先は、これまで述べた通り。
 そして無事ノーストリリアに帰った彼に突きつけられる最後のシーンは、実にスミス氏らしい終わらせ方だったと思う。皮肉というか、何というか。中盤過ぎからあれれ? と首を傾げていた中、この締め方に救われた感じ*2
 それにつけても特筆すべきは、超未来世界の描写でしょう。手術で整形を変えるのもお手軽ならば、人間を猫人間に変えるのも朝飯前(実際、ロッドは地球では安全のため、猫男の姿で行動します。スミス氏はほんま猫大好きやで)。
 あげく、頭を胴を切り離し、片方をミイラ化しても再生できるとか気が遠くなる話まで!
 まあ主人公なんて間引きの判定をクリアするため、0歳から16歳を三回繰り返しているから、肉体的にはともかく実年齢上は(私たちの常識では)とても「少年」と呼べないんですよね。作中ではずーっと少年って言われていますけれど。
 地球では動物を人型に改造した下級民(アンダーピープル)という種族も登場します。イ・イカソス(イーグルのE)とその父イ・テレケリ、あとイ・ラメラミーってどこまで鳥でどこまで人なんでしょう……*3
 猫娘のク・メルが前をはだけるシーン、ロッドの反応からすると、おっぱいは二つしかないんだろうか……*4。ク・メルの絵は、原書の方の表紙なんかで見たことがあるんですが、顔は人間そのものだったんですよね。髪型がアトムなのが激しくいただけない感じでしたが。

*1:何を買うにも二千パーセントの税率がかかったりする

*2:まあ後味はちょっと良くないんですが

*3:つかテレケリの奥さんが気になる

*4:なんかくだらないこと考えてますよ。