アーサー・C. クラーク『楽園の泉』

 ヴァン、あなたは今までにない新しいものを世界に持ちこんだね。
 空はそれでも無慈悲かもしれない──でも、あなたはそれを服従させたのよ。

楽園の泉 (ハヤカワ文庫SF)

楽園の泉 (ハヤカワ文庫SF)

 宇宙(そら)への強い憧憬と希望を持ち、それへ挑む夢と浪漫を狂おしく描き出した、美しい物語。宇宙を目指す熱情が繰り返し書かれ、その激しさに目もくらむような感動さえ覚える。そんな作品だった。
 ただ、惜しむらくは「宇宙人」が堂々と登場した所なのだが……。作中の世界は、『スターグライダー』という異星の探索機が訪れて数十年のち、人類がすでに火星にまで進出した未来である。来るべき未知との遭遇はまあ、いいとして。
 最後の最後で時間がすっ飛んで、宇宙人が地球の大地を踏むのはやや興ざめでさえある。
 まあそこを別とすれば、やはり素晴らしい物語だった。前半は「軌道エレベーターって何?」であり、その建設地に選ばれた架空の島・タプロバニーと、建設に最適とされる山に存在する寺院との折衷にページは費やされる。そして現在のそのようなゴタゴタと並行して、タプロバニーにかつて存在した孤独な王カーリダーサの伝記が差し挟まれるのだ。
 遥かな高山に済む敬虔な僧侶たち、タプロバニーの自然と歴史。
 軌道エレベーターという現実世界でももう一息で実現しそうな、近未来的なガジェットを主題としながら、人類がそれまで積み重ねてきた時間の重みと深みを感じさせる芳醇な魅力をも備えているのだ。
 エレベーターを建設するには寺院の僧侶に退去してもらわねばならない。これは意外な理由によって成功するのだが、それもまた古い伝説に基づいたロマンチックなものなのだ……。黄金の蝶との初遭遇もドラマチックだったものだ。
 建設が開始され、物語は後半に入ると、「建設中の軌道エレベーターで事故」が起こり、主人公ヴァーニヴァー・モーガン(およびその同僚や部下たち)が救出に奔走するというスペクタクルな様相を呈する。
 が、そこでも軌道の高みに昇るという重要な見所があるのだ。電離圏に対する「静かなる嵐の場所」という表現やオーロラのシーンは良かった。これより前の章で、マクシーヌが〈楽園の泉〉を眺めるシーンも。
 言葉の一つ一つが、熱情の火花となって瞳に飛び込んでくる。
 ふと気がつけば目が潤み、ため息が出るような。喉を焼かんばかりの激しい浪漫が、襟を正して行儀良くした一行そこらの短い文章にまとめられ、格調高く澄まして、だが決して嫌味などはない。
 残念ながら最後でつまづいたのが、返す返す哀しい限りである。まあ落ちのラスト一文も素晴らしかったのだけれど。これは著者独自の理想の未来なのだろうな、と思う(スターホルム人はまあさておき)。


「仮に予定どおりにいったとしても──(中略)私は九十八歳になっているんだよ。いや、それまでは生きられんだろうな」
 だが、わたしは生きるぞ、とヴァーニヴァー・モーガンは、心の中で思った。いまや神々は自分の味方であることがわかったのだから──なんの神だかは知らないが。