ダニエル・キイス『24人のビリー・ミリガン』

 ぼくたちは、つまりぼくは、奇形児で、環境に適応しない人間で、生物学的な失敗作です。ぼくたちはみんなここを憎んでいますが、ここはぼくたちが属している場所なんです。ぼくたちはあまり歓迎されないようですが。

24人のビリー・ミリガン―ある多重人格者の記録〈上〉

24人のビリー・ミリガン―ある多重人格者の記録〈上〉

24人のビリー・ミリガン―ある多重人格者の記録〈下〉

24人のビリー・ミリガン―ある多重人格者の記録〈下〉

「有罪になって、またレバノンへ送られたら、ぼくは死ぬしかないんです」
「そしたら、チャーマー*1が勝つことになるわ」
「でも、ぼくはどうすればいいんですか。ぼくのなかには憎しみがつまっている。ぼくの手に負えないんです」
(略)「憎しみを積極的に利用すればいいのよ」彼女はすすめた。
あなたは子供のころに虐待されて苦しんだわ。幼児虐待に対する戦いに人生を捧げて、あなたの恐ろしい記憶を克服して、あなたを苦しめたという男を打ち負かしてごらんなさい。生きていれば、信念を貫いて、勝利できるわ。死んでしまえば、あなたを虐待した男が勝って、あなたは負けるのよ

 おそらく世界でもっとも有名な、多重人格者のノンフィクション。
 私が小学生ごろにベストセラーになっていたと覚えているんですが(実際、初版が92年だからあっている)、読んで見るまで「多重人格」というネタの物珍しさだけで売れたんだと思ってました。が、実際に手にとってみると、普通に読み物として面白い!
 冒頭はビリーが起こした事件と、それに対応する警察の捜査によって彼が逮捕されるまでが描かれるので、ビリー(ウィリアム・スタンリー*2)・ミリガン当人の登場はやや遅い。
 ビリー・ミリガンがどんな人物かと楽しみにしていた私は、彼が出る所まで読み飛ばしちゃおうかなーっと思っていたのですが、そこは本読みの矜持。じっと堪えて一ページ一ページめくるうちに、だんだん話にのめり込んでいきました。
 警察の捜査などから海外ドラマのような雰囲気を感じましたが、これは全編通してそうでした。登場人物(まあ実在の人たちですけれど)の台詞も、いかにもな外人のセンスがあるとゆーか。女弁護士と男弁護士のやりとり「オフィスは寒いでしょ、私の所に来て。コーヒーもいれてあげる」「私に絶対ノーと言わせない気だな!」ってやつとか。ウィットと言うんですかね。
 ビリーの人格たちもそれぞれ個性に富んでいて、気がつけば彼らを一人一人のキャラクターとして好きになっている。リーダーのアーサー、攻撃力を保持し防御の要のレイゲン、トミー、アレン……。ショーンは影薄かったなあ(幼いビリーのおしおきを全部押し付けられたから、そのうちビリーを恨むんじゃないかと思ったけど、そんなことはなかった)。
 第一部は、ビリーが逮捕され、多重人格が証明され、裁判で一度は無罪を勝ち取るまで。第二部は人格を統合された新しいビリー〈教師〉が語る、それまでの人生。ここまでが上巻の内容。下巻はさらに教師編の第三部が続き、第四部で再び現在の時間軸へ。
 第二部の、混乱しながらも互いに協力して生きていこうとする二十四人の「ビリー」の姿は応援したいものがあります。たまたま体を共有してしまった複数人の共同生活という感じで、幻想小説を読んでいるような気になってくる。
 辛いのは第四部で、これまでの話ですっかり好きになっていたビリーの人格たちが、ライマ(オハイオ州の犯罪をおかした精神病患者の収容施設。待遇がとても悪い)の生活に疲れてしまうさまが痛々しいです。教師/ビリーは統合と分裂を繰り返し、何度も行ったり来たりしますが、最後の方では「23の棺」が出来てしまう……(あ、それで続編のタイトルか)。
 最後が暗いので、明るいラストを希望するには続編を読むしかないようです(苦笑)。
 しかしなんとも波瀾万丈。ノンフィクションとのことですが、多重人格の症例として、ビリー・ミリガンを鵜呑みにするのは難しいですね。百人の多重人格者がいれば百通りの多重人格があると言います。
 多重人格において、人格同士は互いに会話するともできないとも、出来る場合もあるとも様々なことが言われていますが、ビリーは基本的に会話ができます(基本人格のビリーは長いこと仲間はずれでしたが)。
 で、注目するべきは「スポット」という概念。暗い舞台にともる白くて大きなスポットライト、のようなものがあり、普段はみんなこの周りにいます。で、スポットに入ったものが体の主導権を持ちます。このブログでは画像が出せなかったんですが、下巻の表紙がそのイメージ映像ですね(暗い部屋じゃなくて森になっているけれど)。
 しかし、これはいかにも分かりやすすぎます。すべてがうまくいくわけじゃないけれど、みんな交替交替にスポットに出て、多重人格をバレないよう振る舞って生きるので、スポットのような人格交替の仕組み自体は存在するのでしょうが……。ちょっちゲーム的というか。フィクション的な使い勝手良さを感じないでもないです。
 私は多重人格=解離性同一性障害(DID)には肯定派なんですけれど、これはどうにも。この人格構造(システム)は、ビリー特有のものなのかな。
 また、ビリーの人格たちの強烈なキャラ付けも気になるところです。
 ある人はスラブ訛り、ある人はイギリス訛り。聞いたことがないから字面じゃ想像できないんですが、これが日本人なら「あるキャラは大阪弁(訛り)、あるキャラはきれいな標準語、あるキャラは鹿児島弁……」って感じになるのでは? それっていかにもキャラを立てようとしてくるみたいで嘘くさいですよね。
 各人それぞれに特技も存在しますしね。
 つか、(アーサーの発言だったかな)私たちの特技は完全な人格である〈教師〉が教えてくれたって第一部で言っていたんですが、第二部で〈教師〉が回想すると、みんな本を読んだり自分で訓練したりして身に付けているんですけれど……ええと? 〈教師〉誕生のシーンも、その存在を耳にした途端、劇的かつ唐突に行われましたし。
 まあ物語としてはまっとうに面白いので、事実かどうかは置いて楽しんだ方が勝ちな気がします。
 登場してすぐ次のページとかで死んじゃった人がいたんですが、その短い間にビリーと仲良くなって、良かったな〜と思ったら死んじゃって、思わずビリーと一緒にその死に打ちのめされる……読者を引き込む力がある作品だと思います。
 虐待の話は以外とあっさりした印象。まー当人も事細かく話したくないでしょうね。
 ただ、虐待が始まる前からショーンやクリステンといった人格が出現しているのが気になります。それも、普通の子供のお仕置きレベルで入れ替わったりしている……もともとそういう気質の子供だったのでしょうか。虐待がなければ、その人格は架空の友として忘れられたのかもしれませんね。
 とまあ、うさん臭いながらも大変楽しめました。

*1:ビリーを虐待した継父。

*2:ビリーもしくはビルは、ウィリアムの愛称形ですね。