プロット派・ライブ派

 愚痴ばかり書いてもあれなんで小説の話題をちゃんとしよう。
 タイトルは川上稔の提唱した区分で、読んで字のごとく、小説書く時プロット書く派書かない派、みたいな感じ。プロ作家で分かるのはこんな感じですかね?
■プロット派
内田康夫(自己申告)
菊地秀行(同上)
川上稔(入念に設定を用意し、分厚い企画書を用意する)
高橋弥七郎(『遭えば編するヤツら』より)
冲方丁(『ストーリー創作塾』にプロットが掲載されている)
■ライブ派
本多孝好講談社「書き下ろし100冊」のメッセージにて
有川浩(広言)
成田良悟(どっかでプロット書かないと聞いたがどこだっけ)
夢枕獏(推定だがおそらくガチ)
 小説の書き方本ではプロットを作ることを教えてくれますが、プロットをちゃんと作る作家はあまりいない(というか嫌い)ということを、冲方さんが言っていたよな(ストーリー創作塾)。実際、小説ではありませんが連載漫画とかでも、明らかにプロット作ってないなーって展開をするものは多い。まあ週刊連載だと大変そうですけどね。荒木飛呂彦は作っていそうな気がするけど、それにしちゃ時々妙なかっ飛び方をしたような。まあツェペリさんとシーザーのミスについてはそういうこともあるだろうってことで、少なくとも昔はプロットを作っていたと思いたい。ブリーチもねー、ソウルソサエティ以前はちゃんと話を作っていることが伺えたのですが。
 ちなみに当方はライブ派よりです。粗筋を書いたら、あとはバーっと書いていくだけ。
 ただ、近年少しずつプロット寄りになりつつあったり。新人賞への投稿を考えると、何百枚モノ長編をプロット抜きでやるのは正直しんどい。……大長編をプロットなしで書く作家はすげーなあ。