ぬこ脱走

 アイス食って一時間後に捕獲。
 完全室内飼いなので、一度外に出るとお散歩の楽しさを覚えたり、ノミをつけたりしかねないので大変です。近頃は少しでも出入り口が開く隙を狙ってやがるし……。弟が開けた瞬間ダッシュ! 夜だったので兄弟して探しても、暗くてうまく発見できず。
 うーん捕まえられてよかったわい。


イキガミ』の盗作疑惑とか出てますね。
 被っている言われちゃったのが星新一ショートショート(アイディア命)だから、似たアイディア=ほぼその作品と同じに見えるってのは仕方ないというか何というか。やりたい方向性は違うから、別にいいような気もしますが。
 しかしまあ、こと創作において、独創性を語るというのも滑稽な話であります。
 小説を書き始めたのは中学生ごろでしたが、まさに独創性ってのをテーマに話を書こうとしていたことがありました。現代伝奇異能バトルもので、この世の全ては所詮神のエピゴーネン、ならば我こそは新たな神(真のオリジナリティ)に、なんてのを目指して能力者同士バトルとかそんな感じの(だが企画倒れして一行も本文は書いていない)。うーん中坊。
 まあともかく、人類の文化は何千年となく蓄積されてきたものがあるわけで、小説もその歴史の中にある。そんなものに、たかだか50年そこらしか時間が残されていない若造が、今更新たな発想で打ち勝とうなんておこがましいのです。完全なオリジナルを追及したがるってのも、まあ若さ(中二的な)だよな。
 逆に、まったくの新しさを目指したとして、確かに新しい物ができたとしても、たいがい破綻していることが多い。単にトンチンカンで面白くなかったりってね。
「似た物」は「同じ物」と考えてかまわない──小説のアイディアにはそのぐらいの制限をつけての発想が求められます。ただ、ここで指される「似た物」の範囲自体は、論じられる土俵が近い・狭い世界での更に似た物なわけで。「違う物」も、そのジャンルの外から見たら結局「同じ物」に見えてしまうわけですな。
 しかし、だからといって今の私たちが細かなバリエーションの違いでしか独創性を出せないわけではなく。
 同じようなものを、一人一人異なる作家が書いたとして、そこに意味があるならば、それこそがオリジナル。
 自分が書きたい意味があるから、自分が書く意味がある。
 それが物語の「テーマ(主題)」であり、個々の作家の独自性を支えてくれるのだと思う。