田中ロミオ『AURA 〜魔竜院光牙最後の闘い〜』

「俺、自分が嫌いなんだろうな、たぶん。それでも、ましになりたいんだろうな、いつか」
「へっちゃらな顔して、ライトノベル読んでやりてぇ」

 ネタバレ全開注意。

AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ (ガガガ文庫)

AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ (ガガガ文庫)

 世界は狭量だ。
 神様はいないし魔法はないし奇跡は起こらない。サンタクロースだって園児さえ信じず、いたとしてもそれは不思議ワールドの住人で妖精さんなんかじゃなくて、グリーンランドだったかアイルランドだったかの職業の一つだ。私たちが生きるのは、あくまでゼロフェアリー*1の、冷たく過酷な現実なんである。英雄とか勇者とか魔法使いとかそういうヒーローはいないくせに、悪役と敵はやまほど転がっていて、何ともバランスが悪い。
 じゃ、ヒーローがいないなら、自分がなればいいんじゃない?
 魔法使いがいないなら、自分が魔法使いになっちゃえばいいんじゃない?
 ちょっと聞きには夢のある英雄的行為かもしんない。だが、それは、アウトだ。
 そうやって転落した人たち、あるいはかつて転落していた人たちが、本書のターゲットである。
 一言で表すと、厨二病邪気眼を題材にした学園ラブコメ青春小説であり、身に覚えのある人々の神経を刺激しまくるったらない。自己嫌悪と同族嫌悪、古傷をなぞりつっつき、刺して抉って往生せいやァ──ッ! なんである。
 まずオープニングが凄い。MPが削られる。それは、劣化夢枕獏エピゴーネン菊池秀行かという現代伝奇ファンタジー風の文章で、一から十までどっかで見たことのある言い回しと設定で隙間無く構成されている。天然ではなく故意で、商業作家がこれをやるんだから凄い。本当に、もの凄く、「どっかで読んだ文章」なのだ。ネットのアマチュア小説で。友人のサイトで。あるいは自分の筆先から。ああ、そう、これは、知っている。自分は知っている。これはわたしのかいたぶんしょうだ。
 鵺屋はワナビライトノベル作家志望)なので、なおさらクリティカルでしたわよ、ええ。……あんま若い世代だと、普通に読み流すかもしれませんね、これ。むかーし昔の自分がそうだったしな。こういう出来の悪い小説だって、面白い! って思って読んでいたんだ、ちきしょう。ああ恐ろしい。
 そんな鳥肌立ちすぎて鳥になりそうなオープニングを経て、始まる序盤はなんのことはない。単なる学級ストラテジーである。正直、このへんの下りはやや冗長で退屈だった。もうちょっと短くできたんじゃないかとも思うが、やっぱり前振り的に必要だったかもしんない。まあそのへんの分析は置いておこう。
 主人公・佐藤一郎が地獄への葬送曲を聴くあたりから、物語は学園ラブコメ(コメディ分多し)になり、楽しくなってくる。
──ぼくの日常はあっけなく瓦解したのだった。そんなラノベにありがちな枕詞が素直にそのまま適用されるこの展開。
 主人公キャラの類型に『変なものに好かれる』とゆーものがある。当人は何の変哲もない普通の人で、同じく普通の人たちには特別気にかけられるわけでもないのに、なぜか超人・変人・変態・人外に好かれまくるとゆう設定だ。そんで読者は、そういった連中に好かれたりトラブルに巻き込まれたりして右往左往する主人公を見て、羨ましく思ったり微笑ましく思ったりして笑うのだ。佐藤一郎も、そういった亜流ハーレム系主人公の一人である。
 だが全然羨ましくなんかならない。微笑ましくもない。だって彼を好いてくるのは、邪気眼に毒された戦士たちなのだから。
 妄想戦士(ドリームソルジャー)。厨二病罹患患者を、本書はそう呼ぶ。だいたい百ページ半を過ぎようかといったあたりから、一郎はクラスの大半に潜んでいた戦士たちの猛攻(オリジナル設定の開示)を受けまくるのだが、鵺屋は初めて理解しましたよ。変なものに好かれるって、冗談キッツイよと。
 とはいえ、鵺屋が本書で一番好きなのは、この痛々しい戦士たちなのですけれどね。構ってもらいたがりで、一郎に自分設定をまくし立てたり、キモい声援を送ってキモちよく受け取ってもらったり(気持ちよくではないあたりがポイントっすな)、エンディングに入る風のコメントをめいめい並べたりしてんのを見るのが好きだ。
 だけど、やっぱり、彼らは世界から排除される存在でしかない。「普通」の人たちとの摩擦は避けられず、戦士たちの頂点とも言うべき痛々しさトップクラスのヒロイン(佐藤良子)との、そういったささくれコミュニケートも繰り返し現れ、やがて中盤の鬱展開で爆発する。
 後書きによると、作者は前と後ろを書いてから中を埋めたそうだけど、えらい力業だ。前半はわりとコメディだし、勢いでハッピーエンドに向かい、気持ちよく纏めた終わりとは事なり、中盤の普通vs厨二の対立から陰湿なイジメへの流れは、結構重たい。
 リアルペイン。フィクションの痛みというものは、作中で描かれるダメージよりも、読者の想像力に訴えかけるもののほうが、より痛く感じる。もの凄い重傷も、悲劇も、拷問も、現実問題としてはどちらがよりダメージが高いかはっきりしていても、読者にはより卑近なほうが痛いのだ。想像できない物は、痛がりようがない。
 教室という空間の、残酷な変貌。言霊を恐れるがゆえの曖昧さ。
 そして妄想は、いつだって現実に叩き潰される。身の程を知らぬ者への当然の報い。回復確実の荒療治。
 いじめにも色んな原因やパターンがあるけれど、本書の場合、いじめられる側が徹底的に悪い。空気を読まず、人の迷惑を顧みず、痛々しく恥ずかしく、稚拙で愚かで、そしてやはり己を省みない。だからあの展開は必然で当然で納得できて、でも、凄く嫌なのだ。単に空気が悪いという問題だけではなくて。
 だってね。やっぱり。この世に不思議なことはあったっていいじゃないか。それをどこかで信じてはいなくても。
 ここは自分の居るべき場所じゃない。この世界は間違っている。そういう感覚を元にした小説では、小野不由美魔性の子』という先行作品がある。同作者のライトノベルである『十二国記』と背景的繋がりを持ち、しかしもうちょっと固い文体の幻想小説。中高生ぐらいに読むと、「間違っている」という感覚を刺激してやまない、でも大人になってから読むとぴんとこない、そういう作品だ。まあ好きなんだけれど(余談だが、十二国の世界は仙人や妖怪はいるけれど、現実と同じくやっぱり冷たく過酷な世界なんだよなあ)。
 だが、本書は厨二病という媒体ゆえか、『魔性の子』よりレンジが広いようだ。下は十代から上は三十代まで。うーん、四十代は入るか? みんな大好き邪気眼ライトノベルで出ているから、本来のターゲット層である中高生も読むのだろうけれど、学生を卒業した世代にも色々と有効。というか、むしろ一度その道を通過した人たちにこそ真価を発揮しそうなこの作品。まあ、リアルタイムで学級ストラテジーやっている人たちにも、色々訴えるものはありますが。
 余談ながら、本書は『オ○ニーマスター黒澤』を彷彿とさせますね。クラスメートの紹介してたり、主人公が後半いじめられたり、秘密を抱えていたり。子鳩さんと滝川のキャラとか、主人公はうざがっているけど、オタク集団に好かれていたり。まあたまたまなんでしょうけれど。
 クライマックスは、熱い。あの瞬間の主人公はまさに勇者で、タイトルを全身で体現してて、奇跡の人で、ヒーローだった。何度読んでも血が、目頭が、熱くなってしまう。ヒーローがヒロインを救うために取った行動、それはとんでもない罵迦罵迦しさと恥ずかしさと痛々しさに満ちていたんだけれど、間違いなく最善で最良で最高の方法だったのだ。主人公の痛々しい過去(ネタバレだがまあ、ようは邪気眼のコピペほぼそのまま。っていうか作者確信犯だよね?)と、そこからくるヒロインへや戦士たちへの(同族)嫌悪感。一般人からの反発と、それに対する共感、葛藤。
 それらを乗り越えた末に──、純度100%の悪意で成立した奇跡を、掴み取った。
 この熱さと痛さと鬱さとこっ恥ずかしさは、まさに一級の青春小説!
 難点を言えば、良子がなぜああなっちゃったのかなどが、わりと触れられていない点でしょうか。ヒロインに結構謎があるまま終わったけど、語らないことであえて想像させている感じもする。ありえないくらい美少女なあたりが、やはりラノベのキャラですが。……つうか、冒頭のあのエクトプラズムって警備員さんも認識してたが、あれはどうやって作ったんでしょうね。
 読み返してみると、複線の細かさにも気づかされる。一部の戦士たちは本格登場前からちゃんと前振りしてやがるし(樋野や木下)、良子との初遭遇シーンは、そうなんだろうなと予想していても、タネがちゃんと分かった上で読むと直視できない痛々しさがある。主人公も含めて。全権保持者って最初なにかの声優の録音かと思ってたんですけどねー(まあそれにしちゃ、会話が成立しすぎていたんだけど)。あとあれだ、良子もだが、大概一郎もバイタリティとか爆発力は常人じゃないよ、君たち。
 落ちも見事にコメディしてて、いやまったく、邪気眼を採用しただけはあるというか、悪夢が倍増して襲いかかってきちゃったよという。そこからちゃんと青春とラブコメの流れに爽やかに落とし込んで、綺麗にまとまっています。