『だればしょ』追記

 蒼ノ下雷太郎『誰かがいたかもしれなかった場所』感想から。
 雷太郎どんは各地から感想を戴いて凹んでいるようだ。凹みすぎてキャラ崩壊しそうだ。まあがんばれとしか言いようがないが、とりあえずアルコールを抜きたまえよ。
 まあそう言いつつ追い討ちをかける俺嫌がらせ。まあ、嫌がらせかどうかはさておいても、言いたくなったので言うのだ。俺の戸に口は立てられねえ、信用ならねえ女だぜ。
 半分くらいまで過ぎてから、『自殺承認制度』のディテールがあまりに書かれないので、「楽に死ねるって嘘だろそれ」って思っていました。「おめーらそんなに死にてーなら国が楽に死なせてやりますよー」っておい政府がんなに親切なワケねー、ありえねー、きっとあれだ、楽に死ねると信じて行った人々は、みんな拷問の限りを尽くされるんだよ。正しくは人体実験と強制労働による最大限有効資源利用の犠牲です。ただし脂肪で石鹸は作れない。
 連合軍プロパガンダでいうアウシュヴィッツ現代日本でやっちゃったぜファッキン!=自殺承認制度、だと思ったのですよね。自殺志願者がアホみたいに笑いながらセンター行きのバス乗るのも、納得がいかなかったから、こりゃ死ぬまで苦しみぬくだけというオチのための布石だと疑いませんでしたわ。
 作品は主人公の主観と思考が中心になっているから、余計な情報は読者に入れない。そしてその舵取りに失敗して、「必要な情報」の欠陥と、そこから読者の誤解へ繋がったような気がする(ミスリード的な)。自殺承認制度では、楽に薬殺されるよーですが、アメか米だかの死刑もそゆやつじゃなかったっけ? 楽に死ねる事が前提になっているわけだが、「本当に」楽に死ねるって誰も疑ってないんだよね。そのくせ安楽死っつー単語出ないし。保健所の動物は安楽死させられるって誤解されているが、実際は苦しいガス殺並に。だいたい、街が無人になるほど人死んでいくなら、薬殺なんて追いつかないんじゃないですかね。薬だってタダじゃないし、大量殺ならガス室とか、直に焼却炉にブチ込むほうがよほど手っ取り早い。
 設定がとっぴなのに、世界観は今ひとつ雑で、リアリティの欠如したうそ臭さに満ちており、それが青臭さに余計被さる。細かいことを気にしない若い世代のたぐいには受けるかもしれないが、中高生ぐらいの読者が、こんなに薄い本に千円以上出すってのは、そうないだろうしなあ。元々知名度が高くて、ヒットを飛ばせるだけの質のもので、固定ファンが既にいる作者の本なら、同じ条件でも(そして高いと文句言われながらでも)買われていくかもしれないが。
 ただ、『回廊』での雷太郎さんの作品はもうちょっと質が上だ。文章に関しては、アヤマを初めてみた時の(悪い意味での)衝撃からは比べるべくもないくらいしっかりしているが、ストーリー上には練りこみ、いや推敲が足りない。これが『回廊』であったなら、担当編集がアドバイスして、改稿して、質の向上がはかられたはずだ。文芸社の編集がどういう仕事をしているかはしらないが、少なくともストレートのままの雷太郎作品はこういう物なのだということがよく分かる。


 んでまー、最後に付け加えると、おいら、人の感想聞かないやつ腹立つのよね。感想書いてっつただろーがてめーはよー! ってのもありますが。感想なら前に書いたのにまだ言うのかよー! と思われてるかもしれんんが。言われるだけ華と思いなさいよと恩着せがましく言って見たり。俺が感想書くのは、面白いからか・好きだからか・腹が立つからの大体どれかですぜ。だればしょは、主に三つ目ですかね。
 感想書いてんのに、「あなたはそう思うんですね」的な返事を作者から聞かされたら腹立つがな。作品は書く、でも感想は聞かない。じゃお前なんで書いてんだ。だればしょに、「誰にも作品を見せない小説家は小説家か?」みたいな箇所がありましたが、さて皮肉なもんだね。
 人の感想に重きをおかない小説家仲間もなんぼかいますが、あれはミーハー的な満足度を欲しているのとは違うってことと解釈しています。感想は特に気にしないが批評は受けて立つっぽい。で、雷太郎どんに対しての感想は批評込みであり、そういった「客観視」を受け付けないようなセリフはどーかなーと。まあ俺根に持つタイプなんで。人に感想貰うと一喜一憂激しいタイプだしね。
「もう俺も分かってんだよ、同じ事聞かせないでくれよ」的な気分でいるならもう何も言わんがね。もがもが。