回廊11号/呼び声と輪廻

 オンライン文芸マガジン『回廊』11号(http://magazine.kairou.com/11/index.html)。
 の中の、呼び声(http://magazine.kairou.com/11/spnovel/yobigoe.html)と輪廻/輪舞(http://magazine.kairou.com/11/novel/rondo.html)について。
 11号は奇数号なので、編集&執筆メンバーである俺は制作には一切関わっておりません。ので、今回は思う存分読者視点で一席。内容に幾分か触れるのでネタバレになりかねないが、出来るだけそれは避けるように書きたい(と思うが、出来るなら既に作品に目を通した方が以下の文章を読まれるのが望ましい)。

 呼び声と輪廻、両方の作品を読んだ方なら分かるが、この作品にはちょっとした共通点がある。パクったとか無粋な事を言いたいのではない、そこは残念ながらたまたま被ってしまったというだけの事だろう。が、その「たまたま」がちょいとした不幸なんである。
 呼び声と輪廻(の主に序盤)で主人公に降りかかる辛苦はどちらも「周囲から淫売と謗られる」事である。呼び声の主人公はテレクラをしてると噂され、輪廻の主人公は「誰とでもヤる」と心無い噂を立てられる。両者の違いは、前者には一応噂の火種となる物が存在し、後者は身も心も本当に処女で初心な娘だという事だ。
 そして主人公はその噂の後、それが元で男に乱暴され傷つけられる事となるのだが、輪廻の主人公の場合、その後更に同性に取り囲まれリンチ紛いの責めを受けてしまう。こちらはまだ中学生で(呼び声の主人公は社会人だ)、両親も彼女に理解を示さず、余計痛ましく見える。
 輪廻は一人の女性(それも、自らの美貌にまったく自覚のない、無邪気なファム・ファタール)の幸薄き人生とその悲劇を綴った物語だ。だから、その悲惨さが際立っているのは当然とはいえるのだが、これを読んだあとだと、どうしても呼び声の主人公の不幸が生ぬるく見える(というか、実際のあの主人公はビッチだと思うが)。
 まあ比べること自体間違っているとか言われたらどうしようもないが、同じ誌面を飾る作品同士、内容が一部とはいえ被ってしまうのは非常に残念な事態だろう。商業雑誌ならば、編集長あたりの人が全作品に目を通して、被りを指摘してくれるのかもしれないが、生憎と回廊の編集長だって体は一つなのである。
 回廊も結構大所帯になってきたが、どこもかしこも人手が足りないのが実情だ。わりかし全作品に目を通すのは難しい。人手が増えて余裕が出来たなら、それも可能かもしれないが(一応私も読もうとは思ってはいるが、結構大変だ。校正に参加すれば、編集OK済みの作品を読む事は可能だが)。
 まあ11号はゲスト作品が主なので、編集が普段とは違ったのかもしれないんだけど。校正班あたりで、全作品に目を通す係りとか設けたらいいんじゃないかと思いました。はっは。