横溝亮一『燃え上がれハーモニー』
「あんたは、ここまで来て、まだ"この一年なにをしたか"という"反省の亡霊"に追い掛けられているんだ。
(略)その亡霊は絶えず追い掛けてくる。"なにをしたか"の"なに"とはなんだ。結局、功名心を満足させるだけの"なにか"じゃないのか」
- 作者: 横溝亮一
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1993/11
- メディア: 単行本
- クリック: 2回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
出版は九十三年と古く、物語も六十年ごろから開始。月日が流れる内にクフモが市に昇格したり、音楽祭の出演者も顔ぶれが変わったり……。
ただ、その長い時間を三百ページに届くかという枚数でまとめているので、内容はいまいち薄味な印象。タイトルが情熱的な分、バランスが悪いかな。
留学先でいきなり外国人と結婚することにしたヨシコと両親の確執、そして和解とか、クフモで音楽祭を成功させた彼女が、やがて故郷でも音楽祭を創設するとか、ドラマチックな展開もあることにはあるんですが。いかんせん筆致がおとなしめなので。
第一回をいかに成功させるかにページ数を割くことはなく、気がつくと二回目三回目とさっさと回数を重ねており、長いスパンで物語は綴られていきます。
舞台となるクフモは「フィンランド一無駄に広い」と評され、実際、東京都五千四百五十八平方キロ+埼玉県三千八百平方キロよりやや狭いかというくらい。
そのくせ九十年時点で人口は一万三千二百人。うち七千人がケスクスタ(中心街)に住むが、残り六千人がその膨大な土地に広がっているので、家々に電気も行き渡らない有様である。
というわけで、町長のラウティアイネンはクフモの過疎(と虫歯)に悩まされているのでした……という具合に、物語は幕を開けます。
まあクフモの概略が出てくるのは、なぜか二百ページぐらい進んでからなんですが(著者も遅いけれどとか言ってますが、なぜそのタイミングなのかw)。
登場人物は結構な数になりますが、中心となるのは「クフモ室内楽音楽祭」創設者のセッポ・キマネンとヨシコ・アライ(新井淑子)夫妻。北九州出身でパリへ音楽留学したヨシコと、同じくフィンランドから留学してきたセッポが出会い、彼のアイデアで音楽祭が始まります。
セッポは初登場時から「(あれもやりたいこれもやりたいと)パニックになるのも無理はない欲深さ」と言われるように、物語のキャラとしても大変立っていて面白い。
著者は音楽ジャーナリストで、七十一年にヘルシンキの音楽祭へ取材に行った際、夫妻に出会ってクフモ音楽祭と長らく関わることになります。ので著者本人も作中に登場。
サウナ・パーティー(フィンランドはサウナ発祥の地)、シス(フィンランド魂。要するに根性)、冬戦争(クフモでの戦闘は有名)、ザリガニ・パーティー(日本のと違って寄生虫はいないのでご馳走)などなど、フィンランドの風俗がしっかり盛り込まれて満足の一冊でした。
あと、滋賀在住なんですが、県庁所在地の大津にフィンランド人学校があるということもこの本で初めて知りました。検索したら現在もやっているみたい*1。
しかしプッコ*2で人を刺すシーンあるけど、あれって切る専用じゃなかったんだ……。調べた時には「刺すための物じゃないので鍔はない」「切ることに特化している」ってあったんだけど。
音楽に詳しくない自分にはよく分かりませんが、舘野泉、間宮芳生などなどの音楽家も、当然実名で登場。クラシック方面に造詣のある人にはなお楽しめる本なのかな。
最初は二十代初めの学生だったヨシコとセッポが、様々な人と出会い、協力し、続けていく内に、二人も音楽祭も成長していく様は感慨深いものがありました。
例えば音楽祭で発売するレコードを作成する会社だったOndineが、現在ではフィンランドを代表するクラシックレーベルにまで成長していたり……。
一つのことに半生をかけて打ち込んだ人間の記録としても興味深い一冊でした。
たまに著者の「フィンランドはこんなに素晴らしいのに日本ときたら」という言説が鼻につく面もありますが、フィンランドという国にいっそうの憧れと親しみをもたらすには充分な出来映え。