ブルース・スターリング『スキズマトリックス』

「人生は一日一日生きるもので、世紀単位ですごすものじゃない。
 熱狂はそんなに長くはつづかんよ。血と肉には耐えられんものさ」

スキズマトリックス (ハヤカワ文庫SF)

スキズマトリックス (ハヤカワ文庫SF)

 人類が宇宙に進出し、無数のコロニーとその数だけ分かれた進化・文化・思想を綴った一大未来叙情詩。……と言いたいところだが、若干壮大すぎてダイジェストを読んだような印象があるのが拭えない。結構分厚い本なのに不思議だ。
 主人公リンジー・アベラードの、人間の寿命を超えた人生を通して語られる、多種多様な発展を遂げる人類の姿は見所です。文化カタログという感じで、様々な主義主張、国家形態が現われる。「国家は人より長くはいきない」とかそんな台詞が作中にあったように、様々なコロニー国家が栄枯盛衰。首都がめまぐるしく移り変わり、つい昨日まで繁栄の最高峰にいたコロニーに、今日は歴史の負け犬「幻日(サンドッグ)」が流れ着く。
「セックスとデートの時間」が通貨になる世界。十一人しかいないのに、互いに「大統領」「下院議長」なんて呼び合い、民主国家を名乗る海賊(国土はオンボロ宇宙船一つ)。市民権=即時安楽死の世界。デタント主義。期間限定の一夫多妻制契約結婚。学者と軍人が同じものであるかのごとき軍学複合体。人間の肉体でできた建築物。土が燃える危険があるから、ライター程度でも裸で火は使わないコロニー出身のリンジー
 コロニーごとに微生物が異なるから、移動のたびに皮膚や腸内を殺菌したり、微生物の交換を行ったりするシーンもちょこちょこあります。主人公は最初のコロニーで赤痢にかかったりして大変でした。
 作中でのイデオロギーで特に大きく、徹頭徹尾登場するのは、サイボーグ化で延命をはかる「機械主義者」と、遺伝子工学で肉体を変形させる「工作者」の二派。リンジーは工作者の活発なメンバーだったのですが、機械主義者との対立によって故郷を追い出され、幻日(サンドッグ)としてコロニー「人民財閥」に流れ着くことから話が始まります。
 物語は大きく三つの部に分かれていますが、部内もさらに細かな章に分かれており、章と章の間には年月日が設定されて、章代わりのたびに数日・数ヶ月・数年と時間が飛んでいきます。後になるほどそれは顕著で、ぱらっとめくったら二十年、とか。リンジー、作中では少なくとも二百歳にはなってたんじゃないかな。
 結末ではとうとう肉体を捨て、どこへとも知れぬ彼方へ旅立っちゃいましたが、結局〈存在〉ってなんだったんだろう……。形が狐ってところに何か含みを感じるし。そもエイリアンなのか精神生命体なのか?
(この作品では第一部終了間際から異星人が登場します)
 リンジー・アベラードという男の物語としては、親友にして互いに宿敵となったフィリップ・コンスタンティン、彼らの間に深い傷として残ったヴェラ・ケランドと、「もう一人の」ヴェラ。このへんのエピソードだけ押さえたらそうとう短くできるような。ノラなんて一回別れたら、死亡しても伝聞だけであっさり流されるし!(こういう淡泊さが、ダイジェストっぽさの一因であるような気がする)
 そうそう、主人公リンジーは作中何度かロマンスを演じます。ヴェラ、キツネ、ノラ、アレクサンドリーナ、四人のヒロインとともに。しかもその一人一人は異なる愛され方をしており、彼女たちに決して互換性はないのです。このへん「女は上書き保存、男は名前をつけて保存」の法則がまんま当てはまる感じ。リンジーは新しいロマンスを見つけても、決して前の女性を忘れたわけではないんですよね。まあ多少、男に都合の良い女の書き方が感じられなくもありませんが、そこはそれ……。
 まあ、基本的に読みづらい作品です。映像作品ならもうちょっと取っつきやすくなるかもしれませんけれど(でも、それだと本書の魅力ある文体の数々を再現するのは難しいかもね)。ただ、この作品読みにくさ・グロテスクさ・奇妙さは、実験的野心の現われにも思えます。確かこれが書かれた時期は、わりとSFが閉塞してて、サイバーパンクという新しいムーブメントによって開かれた時代だったわけでして(ニューロマンサーが出た時代)。
 同世界観の短編集「蝉の女王」(中古で一万五千円。ちょ、絶版になった人類補完機構より高い)の作品紹介によると、過酷な宇宙空間に適応するため、人類自身が自己改造していった結果が、機械主義者と工作者を生み出したそうで。
 遥かなりし遠未来と、過酷な宇宙に生きる人類の姿を迫力たっぷりに描き出した作品。
 コロニー内はどこも重力が軽くて、椅子に座ったらストラップで体を固定したり、キックで体を浮かせて移動したり、泡が容器になってソースや紅茶が入っていたり……。宇宙船内の描写で、船内に生態系を造り出すために水槽で藻を飼育し、ゴキブリをはびこらせる、ってのはちょっとヤだけれど(笑)。起きたらゴキが眉に吸い付いていたとか勘弁!
 物語として面白いかどうかはかなり微妙。けれど、未来史としては一つの到達点を見せている、そんな作品だと思います。