熊谷蘭冶『嘆きの天使』(1)

「でもあなたはここから逃れて──その血塗られた自分の運命を生きていくのでしょう?
 他人の流した血を画布に塗り込んで 一体どんな絵を描くつもり?」

嘆きの天使 (1) (ぶんか社コミックス ホラーMシリーズ)

嘆きの天使 (1) (ぶんか社コミックス ホラーMシリーズ)

 ホラーMでデビューした新人漫画家・熊谷蘭冶の初単行本。
 さて表紙画像を見ての通り、非常に『濃い』絵柄と作風の持ち主である。デビュー作から回を重ねるにつれ、どんどん増量した睫毛(笑)、厚い唇、長い鼻下──およそ一般ウケするとは思えない絵柄。正直、クセが強すぎる。
 この単行本以前にもいくつかの読み切りがホラーM本誌に掲載されていたが、そのどれもが悪趣味と退廃に満ちた、しかし確固とした美意識を貫いた作風を持っていた。本作も、そうした作者の美意識が発露されている。
 白痴の青年庭師、半陰陽の赤子、強姦と出産でたびたび股から血を流す修道女、不具になった女性を真珠と呼んで愛でる男、古代ローマの巫女をモチーフにした娼館、女生徒同士の親友(恋人)関係……。読み切りでも、不具の女性や少女を薬物と整形でカスタマイズし、花嫁として売り飛ばす商売など、同様の悪趣味さに満ちたガジェットがあった。
 受け付けない人にはもの凄い拒絶反応が出そうだが、そうでない人は思わずハマってしまいそうな、人を選ぶこと必至の作だ。
 物語の舞台は、ヒトラーが台頭してきたドイツのとある修道院。主人公・ジークリンデはその寄宿舎で暮らす女学生である。
 なぜだか毎回、ドイツが舞台になるのはランヤのお約束なのだが、作中の少女達の立ち居振る舞いを見ていると、現代人の少女にはない気品に満ちている。少女的な美意識というか、非常に自然な淑女の仕草と色気がある。登場人物の台詞も、妙に哲学的で芝居がかっており、ある意味現実離れした、そしてそれだけに濃厚な物語世界を作っている。
 さて、主人公ジークリンデは「芸術家であること」を自らの人生で最優先事項とした画家志望である。
 ベルリンの芸大進学を希望していた彼女は、鬱屈と不満に満ちた寄宿舎生活で、放課後のスケッチを日課としていた。その才能は人並みならぬものがあったのだが、ある事件が切欠で彼女は昂ぶる感性を封じ込めざるを得なくなっていく。
 だが、逆に彼女の才能を伸ばそうとする人物もおり、描くこと、描かないこと=自分の全てを諦めること、諦めないこととの間でジークリンデは葛藤していく。ジークリンデは美しく清らかな修道女・ドロテアに思慕を寄せていた。彼女は白痴の庭師・ミヒャエルによって強姦されてしまうが、ミヒャエルを撲殺したジークリンデは、強姦の経緯について責任を感じる。
 そうなった原因はむしろシュヴェスター(修道女)・クリストフにあると思うのだが……。
 前半はドロテアとジークリンデ(+親友のヘレーネ)だけの狭い世界という感じだが、金髪のサキュバス・リタの登場によって物語もだんだんと広がっていく(修道院から一気に娼館はちょっと飛躍している感もあるが)。リタはもっと色々暴れてくれそうだったのだけれど、退場があっさりしていたのは残念至極。
 ドロテア自身は冒頭、難産で死亡し、以降は最後の話までジークリンデの回想形式で進む。そしてヴィルヘルム伯爵によって修道院を出ることになった所で次回へ続く構成。
 前述のように、ランヤ作品に共通した美意識が強烈に発露した作風である。
「己に殉じかねない稚(わか)い狂気」と作中でも形容されるほど、ジークリンデの芸術に対する情熱は激しい。描きたい絵が描けない苛立ちに自らの手を突き刺し、自分が吐き出す血を眺めて満足を得るほどに。かつて恋い焦がれながら、発狂したドロテアへの焦がれる想いから、ついには自殺や夢遊病にまで至る……。
 とかく作中、主人公ジークリンデ含め、倒錯した人物ばかりである。
 厳格な修道女として振る舞いながら、その実諸悪の根源とも言うべきクリストフ。「真珠」の蒐集を趣味とし、ヴィルヘルムを崇拝するヴォルフガング。ヴォルフも知らぬ生臭い本性と、「真の美に殉ずる」という執念に突き動かされたヴィルヘルム。百合の入ったリタはまあ可愛いもので、ジークリンデと同室のマルタとエーファのなんと健全なことか。
 裏表紙の「デカダンス乙女ホラー」とは中々うまく本作を表しているのではなかろうか。ジークリンデの知らぬクリストフの行い、ヴォルフの知らぬヴィルヘルムの本性、それらが明るみになった時、また人物たちがどう動くのか興味深い。