冲方丁『シュピーゲル・シリーズ』が示した可能性

 当方、恥ずかしながらいまだマルドゥック・シリーズやばいばい、アースなど、冲方丁他作品はあまり手を出していません。漫画原作をやったシュヴァリエピルグリム・イェーガーは既刊全部読みましたが、あとは黒の季節(積読)と、微睡みのセフィロト、それにストーリー塾ぐらいかな。
 さて、冲方氏はマルドゥクあたりから『クランチ(バラバラ)文体』なる独特の文体を使いだしたことが知られています。これは=や+や/といった記号(冲方氏いわく「奇号」)を多用した文章で、疾走感やキャラクターの属性を強調した仕上がりになっています。『オイレン』と『スプライト』ではスプライトのほうが多目な印象。

 これらの記号は読むものではなく「見る」ものでござるゆえ実際に読むのは日本語の部分だけでOK。いわば漫画のコマの線とか吹き出しの線みたいな、言葉と言葉の境界線。あまり意識せず、ぱっ「見流して」頂だければ、言葉のダンスを楽しめますかと。
(『スプライトシュピーゲル』一巻あとがき)

 このような発言からするに、シュピーゲル・シリーズは「漫画と小説のいいとこ取り」に挑戦しているのではないだろうかと思いました。
 絵の情報伝達速度は文よりも高い。一人のキャラを描いた絵があれば、一目で体型(乳尻太腿腰周りにくびれに輪郭に)・色(髪肌瞳服の色)・髪形・服装(何を着ているのか。上はどうなっているか下はどうなっているか)などなどなどが把握できてしまうのです。文章に起こすと長々と説明を綴らねばならないと言うのに!
 しかし、絵には絵の不得手もあって、「細かい」情報を伝えることに関しては文のほうが上です。まあ視覚的情報と分析的情報とでも言いましょうか。絵を見ただけではそのキャラの具体的身長や年齢や来歴や心情は把握し切れないでしょう。
 文芸のたぐいでは文で表現できる物を突き詰めて行っている感もありますが、ライトノベルなどの分野では、そういった「絵(漫画)の利便性」を小説上に取り入れることが試みられていました。具体的には神坂一あかほりさとるの作品群などが代表的ですね(スレイヤーズとかは、もう今の現役ラノベ読み=中高生からすると古いんでしょうかね、しかし)。
 で、そいういった「絵的(視覚的)表現法=漫画の表現手法を取り入れた文体」はまず直接的に視覚に訴える部分が強く出ていました。執拗な改行で下半分がスカスカだったり、空白を使ったり、擬音を多用したり、その擬音がまた異様に長かったり*1、フォントサイズを調整して大声=大きな文字で表現したり、です。今もネット界隈のアマチュア小説ではよく見かけますね。
 冲方氏の『クランチ文体』はまさにそれらの進化形。その斬新さゆえ最初は戸惑いますが、慣れれば確かに読解速度が走る走る。たとえば、オイレンには陽炎というキャラがいます。彼女の描写はこう。

 長い火のような赤髪(ロート・グリューエント)/冷たい灰の瞳/刃こぼれ知らずの硬質ナイフのごとき美貌。
 十四歳とは思えぬ発達した砂時計形の長身/胸の谷間を強調するVネックの紅いミニドレス/長い脚に鮮赤(フクシア)のガーター/艶めく深紅(ボルドー)のエナメルパンプス。
(『オイレンシュピーゲル』一巻 10p)

 ライトノベルという媒体ゆえ、「陽炎」のイラストも載っており、この文章とあわせて読者の脳内では陽炎というキャラクターの姿が明確に形成されます(まあ、ラノベのキャラの容姿は、イラストで決まる部分が多いんですけどね。どのみち。しくしく)。私としては、「刃こぼれ知らずの硬質ナイフのごとき美貌」や「砂時計形の長身」について、もう少し言及が欲しいところですが、登場のたびに表現を変えて深みが追加されるのでまあいいかな。
 スプライトの後書きで、冲方氏は「このシリーズの目標の一つは、物語の記号化だ」と発言しています。思えば記号化というのは、小説よりも漫画の世界で先に行なわれていたのではないでしょうか。コマ割り、現実より明らかに大きい目を持つキャラクター、セリフをおさめる吹き出し。これら漫画の「お約束」こそ現実をフィクションに変換する「記号化」でしょう。
 ライトノベルは一昔前までは、児童文学の延長だったりで、「読み手である中高生の専用ジャンル」としては確立されていませんでしたが*2、革新的な書き手の誕生と共に変遷を経て、今のように「もっとも記号化の進んだ小説ジャンル」として成熟しつつあります。そしてこの「記号化」現象は西尾維新などを通しても、ラノベ以外の文芸ジャンルにも波及してますね。
 模倣(パクリ)も三度やればジャンル*3。クランチ文体を読んで育った世代が、読み手から書き手に変わった時、小説の世界も記号化が完了するのかもしれません。何にせよ、ありそうでなかったクランチ文体を生み出し、それを浸透させつつある冲方丁のセンスは素晴らしい。


 ……と、ここまで書いて、もう似たようなことって既に散々言及されているよーな気がしてきました。ほら俺、流行遅れですから。

*1:例「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああ」

*2:まあ最初は何でもそんなもんでしょうが

*3:例。JOJOの「スタンド能力」。あ、the BOOKまだ買ってないっ!