小説家たりうることの侭ならなさよ

 今更なんですが、秋山編集長が書いた17日の日記について。十日ぐらい前の話蒸し返すのもあれですがまあいいや。なんか前と言っていることが違いますが、あれですよ、ラブコメでよくある「自分の本当の気持ちに以下略」。以下編集長の日記より抜粋(そのままでなく大意)。

 ゲームのマジックポイントのように、一日に消費できる精神力が決まっているとしたら、
 仕事も辞めて、恋愛も止めて、ブログも止めて、ゲームも止めて、漫画も止めて、読書も止めて、映画も止めて、執筆だけに専念した方が効率的のはず。

 んなの冗談じゃねーよ! 仕事やめてどーすんだよ恋愛はそもそもしてねえし、(は、マダナイ?だれそれ)ブログはまあ時々やめてもいい気分になるし、ゲームはむこう半年ぐらいしなくても構わねーが、漫画とか読書とか読みてーしやめらんねーし!
 というのが、最初の素直な感想。はい、煩悩ですね。
 でもまあ、逆に、「やれるものならやってみたい」という気持ちもあります。一日中家にこもって、テレビ置かなくて、飯なんて一日二食と食わなくて、風呂なんて三日に一度くらいに思い出したら入って、洗濯物は一週間ぐらい溜め込んで、夜更けまでキーを叩き続けて、眠って、起きて歯を磨き顔を洗ったらまたPCの前に座る。
 夢のような地獄じゃないか。
 てゆーか天国と地獄って似たようなもんだよな結局。
 で実際、上記のような生活を実行するにはまず家を出なくちゃならない。実家にいますからね、賃貸だけど。ただ、実際にどっか部屋を借りるとなると資金がいるわけで。まずそれを溜めなくちゃならない。そんで後は家族に渡す食費やらなんやら止めて、猫を置いて出て行けば、仕事を辞めても何ヶ月かは一人暮らしが出来るでしょう。
 しかし仕事を辞めるとなると、そう簡単に踏ん切りはつきません。前は二件掛け持ちで仕事していましたが、体調をしょっちゅう崩すので一件だけにしました。残る一件を手放すのは現実問題として先が見えなくて厭だ。
 つまるところ、この「純粋培養小説家生活」は将来ってモンを擲(なげう)ってこそ成立するものですよね。締め切り前の修羅場「ホテルで缶詰」ってやつを常時日常生活でやっちまうというか。最低一年は暮らしていける金がないと、作品を完成させても、投稿したそれの結果が出る前にぶっ倒れかねない。
 とはいえ、過去そうした生活からちゃんと大成した作家はたくさんいるわけで、今の生活にしがみ付いている私はしょせん甘えなのかもしれない。
 だが、今の様々な誘惑と雑事に囲まれた、しかし安穏とした生活の中で、ちゃんと作品を書いてそれを仕事につなげられるなら、それが何よりでもある。


 余談。
Dies irae. 』の主題歌シングルCDが発売されるそうですが……が……。
 何このBLゲー的ジャケ。