古橋秀之『ある日、爆弾がおちてきて』
- 作者: 古橋秀之,緋賀ゆかり
- 出版社/メーカー: メディアワークス
- 発売日: 2005/10
- メディア: 文庫
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■【ある日、爆弾がおちてきて】
表題作。「女の子の姿をした爆弾」という設定にやや既視感が。最近読んだやつじゃ、オーケンのゴスロリ幻想劇場に、爆殺少女人形ってのがあった。中学か高校の文化祭で観た劇では、女の子が全員爆弾のクラスって設定のやつもあった。まあ要するに、設定自体に目新しさは感じなかったかな、という印象。
しかし、導入のトンデモ少女に振り回されるややドタバタした展開から、話の流れはセンチメンタルとシリアスへ。『誰かが終わらせてくれないかな』という言葉は、やはり道連れとは違う、彼女なりの考えだったのだろう。
ただまあ、どうして彼女が爆弾になっちゃったのか。あれはつまり生霊だったのかとなると気になって仕方が無いのだが、そういう突っ込みは野暮であろうか?
■【おおきくなあれ】
クシャミのたびに記憶が後退する特殊な風邪のお話。漫画でやったらニッチな萌え系に出来そうだと思った。おもらしとか。
ただ、本作のポイントは、ヒロインの記憶が後退していくたびに、ヒロインに関する設定をナチュラルに明かしていけるあたりだろうか。本書に収められている他の作品にも見られる構造だが(短編という性質上仕方ないのだろうけど)、作中の設定を語りつくしたところでオチをつける、というパターンがここでも見られる。
最後の落ちは捻りがないと言えばそうだが、まあ無難だ。実際かかってみると怖くてたまらない病気だと思わせられた。
■【恋する死者の夜】
本書で一番好きな作品であり、一番最初に読んだ作品である。だって、ネクロ好きだし。
死者が蘇り、自分の人生のある一日を繰り返し続ける存在となってしまう世界。ゆっくりと、引く可能性のない潮が満ちていくように、緩慢な終焉を迎えている世界での、ある一組の恋人達の話である。
主人公がいつもどおり『繰り返し』に付き合っていくシーンと、クライマックスで明かされるある対比とが非常に気に入っている。というかこの作品の設定自体も気に入っている。ただ機械的に、生前の動作を繰り返すだけの、屍の少女と乗る観覧車。古橋秀之の捻くれたリリカルが描き出された作品であると思う。
*なお、内輪の話になるが、最後のあたりを読んでいて霧生さん(『人生で最も幸福な一日』)を思い出してしまった。また回廊に復帰してくれるのかなー……。小説書いてるかなー……。
■【トトカミじゃ】
今さらだが、本書の作品はどれも一種のメルヘン色がある。不思議は不思議として肯定され、許容された空気の中での、切なかったり楽しかったりする物語群だ。その中で一際メルヘンじみていると思うのが本作である。
図書館に住む小さな神様、という設定の時点で、何やら英国の妖精譚を彷彿としてしまう。最後のオチと締めくくりも非常に微笑ましいものであり、イラストのトトカミさまも可愛くて好きだ。
■【出席番号0番】
肉体のないクラスメイトが、恐れられるわけでもなく、当たり前の存在として受け入れられている学校でのお話。登場人物たちの慣れっこぶりが何とも激しい。妖怪と同居する世界の漫画みたいというか。
最後の落ちは読者に判断を委ねるタイプのもの、と思っていいのだろうか? 答えに右往左往する主人公の慌てっぷりに笑い、一緒にううむ? と首を捻ったところで幕を閉じる。
■【三時間目のまどか】
タイトルは、「三時間目の窓から」なのかなー。やっぱり。
確か昔SFで、電話が異世界や未来と繋がってしまう話があったなあと記憶している。誰にも知られていない、自分だけの特別なエンカウント。こういう密かな楽しみってのはやみつきになる味を持っている。
落ちに関しては、少し腑に落ちない。海で死んだってのは、どーなったの?
■【むかし、爆弾がおちてきて】
作中に出てくる戦争ってのは第二次世界大戦のことかなー、と思うのだが。現実の戦争では使われなかった、時空潮汐爆弾が使用され、その爆心地にいたために独りぼっちで時の流れに取り残された少女の話。
わりと早いめに、主人公が取るであろう行動が予測できたが、おじいちゃんの話などが入ってきて、特に飽きずに読めた作品。外で見ていた家族や友人達が気になるところだが、そのがむしゃらも恋だよね。